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【世界史完全版】先史から現代までの通史・年表まとめ

私たち人類は、太古の出現から長い年月を経て高度な文明社会を築き上げました。本記事では、先史時代から現代に至るまでの世界の歴史を俯瞰し、各地域の歩みや主要テーマを網羅的に解説します。古代文明の誕生、世界宗教の広がり、中世の交流と変革、近代の産業革命と帝国主義、そしてグローバル化する現代まで、一つながりの物語として理解できるよう、年表や図表を交えてわかりやすくまとめました。世界史の大きな流れを把握し、現代の私たちに至る道筋をひも解いていきましょう。

要点サマリー

  • 人類の起源と拡散: 現生人類(ホモ・サピエンス)は約30万年前にアフリカで誕生し、およそ7万年前に「出アフリカ」して全世界へ拡散しました。狩猟採集の時代を経て、約1万年前(紀元前8000~前5000年頃)に農耕・牧畜が中東や東アジアなどで始まり定住文明の基盤が築かれました。
  • 古代文明の興隆: 紀元前3000年頃までにナイル川、チグリス・ユーフラテス川、インダス川、黄河流域で四大文明(エジプト・メソポタミア・インダス・中国)が誕生し、文字の発明や国家形成が進みました。その後、地中海のギリシャ・ローマ文明や南アジアのマウリヤ朝、中国の秦・漢帝国など古典古代文明が発展し、仏教・キリスト教など世界宗教もこの時期に成立しました。
  • 中世の交流と変動: 5~15世紀の中世には、西欧で封建社会が成立する一方、イスラム教が7世紀に誕生し、中東・北アフリカからイベリア半島までイスラム帝国が拡大しました。8~13世紀はイスラム黄金時代と呼ばれ、学術・文化が隆盛。同時期に唐・宋など中国帝国も繁栄し、13世紀にはユーラシア東西にまたがるモンゴル帝国が出現、東西交流が飛躍しました。ヨーロッパでは十字軍やルネサンスへの胎動、アフリカではガーナ・マリ帝国の興隆、アメリカ大陸ではマヤ・アステカ・インカ文明が発展しました。
  • 近世・大航海時代: 15~18世紀の近世、ヨーロッパで大航海時代が始まり、1492年のコロンブスの航海を契機にアメリカ大陸やインド航路が“発見”されました。コロンブス交換と呼ばれる旧新大陸間の生物交流が起こり、旧大陸からの疾病で先住民人口が激減(地域によって80~95%減少)しました。ヨーロッパ諸国は植民地帝国を築き、アジア・アフリカにも進出。国内では宗教改革・ルネサンス・啓蒙思想が展開し、17~18世紀にはイギリスで産業革命が始まりました。
  • 近代・世界の一体化: 18世紀後半から19世紀にかけて、アメリカ独立戦争やフランス革命を経て近代が確立し、国民国家・資本主義社会が登場しました。イギリスの産業革命は欧米各国に波及し、世界規模で貿易拡大・国際分業が進む地球規模の変化を生みました。列強は帝国主義政策を推し進め、アフリカ分割など植民地支配がピークに。日本も明治維新で近代国家化し、日清・日露戦争に勝利して列強の仲間入りを果たしました。
  • 現代・戦争と平和: 20世紀前半、二度の世界大戦が勃発(第一次世界大戦1914–18、第二次世界大戦1939–45)し、合計で数千万人が犠牲となりました。欧州の旧帝国は崩壊し、米ソ二極の冷戦構造へ移行。【結果】戦後は国際連合の発足、欧州統合、アジア・アフリカの独立(脱植民地化)が進展。冷戦終結後(1991年)はアメリカ合衆国が超大国として台頭し、経済のグローバル化が一層深化しました。21世紀に入り、IT革命による情報社会の到来とともに、中国・インドなど新興国の台頭やテロリズム、気候変動など新たな課題も顕在化しています。
  • 通史にみる長期トレンド: 世界史を通覧すると、人口は農耕開始後ゆるやかに増加し近代以降爆発的に増えました(1700年頃約6億人・1800年頃約10億人→2022年に80億人到達)。都市化は文明の発祥地で進み産業革命期に再加速しました。技術革新のペースも指数関数的に上がり、移動・通信手段の発達で世界各地域はかつてないほど緊密に結ばれています。一方、感染症のパンデミックは古代~現代を通じて繰り返され(14世紀黒死病では欧州人口の30~50%が死亡)、気候変動も帝国の盛衰に影響してきました(例: 小氷期に各地で飢饉・動乱)。歴史の長期推移を俯瞰することで、現代の課題を理解する手がかりが得られます。

先史時代 – 人類の誕生と拡散

人類の物語は、今から数百万年前の先史時代に始まります。最初期の人類の祖先(猿人)は約500万~700万年前にアフリカで出現したと考えられています。現生人類(ホモ・サピエンス)は約30万年前に出現し、長らくアフリカ大陸に留まっていましたが、約7万年前に一部集団がアフリカを出て中東・欧州・アジアへ広がりました(いわゆる「出アフリカ」)。その過程でネアンデルタール人など他の人類とも交雑しながら、最終氷期の終わり頃までにオーストラリア(少なくとも約6.5万年前)、ヨーロッパ(約4万年前)、アメリカ大陸(少なくとも約1.5万年前〔近年は2万年以上前とする研究も〕)へ到達し、全大陸に人類が定着しました。

先史時代の人類は狩猟採集によって生活しており、石を打ち欠いた打製石器(礫石器など)や骨角器を道具として使用していました。やがて火の使用を覚え、洞窟壁画など初期の芸術も残しています。約1万年前になると氷期が終わり気候が温暖化し、新石器革命とも呼ばれる農耕の開始が世界各地で起こりました。西アジアの「肥沃な三日月地帯」では小麦・大麦の栽培化、東アジア(長江流域)では稲作の開始、中南米ではトウモロコシやジャガイモの栽培がそれぞれ独立に始まり、動物の家畜化も進みます。これにより食料生産が安定して余剰が生まれ、定住生活が広がる中で貧富や身分の分化が生じ、巨石記念物や灌漑施設など大規模建造物が作られるようになりました。

※考古学の新発見: トルコのギョベクリ・テペ遺跡(前9600~前8200年頃)は、狩猟採集民が築いた巨大な石造神殿跡であり、農耕普及前にも大規模な宗教的遺構が築かれたことを示し、通説の再考を促しました。農耕以前から高度な社会組織や精神文化が存在した可能性が示唆され、先史観に新たな議論を呼んでいます。

このように人類は各地で生産経済(農耕・牧畜)へ移行し、やがて大規模な集落から都市が生まれ、文字記録が登場する時代へと進んでいきます。紀元前3500年ごろまでの文字出現以前を「先史時代」、それ以降を「歴史時代」と区分することが多いです。では、次に人類最初の文明が出現した古代の時代を見てみましょう。

古代 – 文明の形成と古典期

四大文明と古代帝国

人類が農耕を始め定住生活が広がった結果、紀元前3000年頃までに大河の流域で文明が誕生しました。一般に「世界四大文明」と称されるのは以下の四つです。

  • メソポタミア文明: 「川の間の土地」を意味するメソポタミア(現在のイラク周辺、チグリス川・ユーフラテス川流域)で興った文明。紀元前3500年頃にはシュメール人がウルウルクなどの都市国家を形成し、楔形文字による記録を残しました。各都市は神殿を中心とする神権政治で統治され、ジッグラトに代表される建造物が築かれました。その後、セム語系のアッカド人による統一(サルゴン王朝)や、古バビロニア王国によるメソポタミア統治が行われます。ハンムラビ王(在位: 前18世紀)はハンムラビ法典を制定し、「目には目を、歯には歯を」で知られる同害復讐の原則を法文化しました。メソポタミアでは太陰暦・六十進法・占星術など科学知識も発達し、後世の数学や天文学の基礎となりました。
  • エジプト文明: 北東アフリカのナイル川流域に成立。紀元前3100年頃に上下エジプトが統一され、以後、古王国(ピラミッド建設で有名)、中王国、新王国の三時代に区分されます。古王国のファラオ(王)は神の化身とされ、絶対権力を誇示する巨大なピラミッド(ギザの三大ピラミッドなど)が建造されました。中王国末期には外来者ヒクソスの侵入(前17世紀)で一時混乱しますが、新王国時代(前16~前11世紀)にはトトメス3世などの王がシリアやヌビアに遠征し勢力を拡大しました。エジプト文明はヒエログリフ(神聖文字)による記録、太陽暦の考案、ミイラ作製にみられる医学知識など多くの遺産を残し、地中海世界に強い影響を与えました。
  • インダス文明: 南アジアのインダス川流域(現在のパキスタン付近)に栄えた文明。紀元前2600年頃からモヘンジョダロハラッパーなど計画的に区画された都市が建設され、公衆浴場や下水道を備えた高度な都市文化が発達しました。インダス文字が使用されましたが未解読です。特徴的なのは巨大な神殿や王宮の跡が見当たらないことで、統治の形態に謎が残ります。インダス文明は気候変動や河川の流路変化により紀元前19世紀頃までに衰退し、その後アーリヤ人(インド=ヨーロッパ語族)がパンジャーブ地方に南下してヴェーダ時代が始まりました。
  • 中国文明(黄河文明): 東アジアの黄河流域で生まれた文明。伝説的な夏王朝を経て、紀元前1600年頃に最初の確実な王朝である(商)が成立しました。殷は青銅器文化と甲骨文字による漢字の原型を特徴とし、優れた工芸と占術で知られます。紀元前11世紀頃、周が殷を倒して華北を統治しましたが、周王朝の後期には地方諸侯が自立する春秋・戦国時代(前8~前3世紀)となります。この動乱期に孔子・孟子らの儒家や老子・荘子ら道家など諸子百家の思想が生まれ、後世の中国思想の基礎が築かれました。紀元前221年、秦の始皇帝が初めて中国を統一し、郡県制の施行や万里の長城の築造など中央集権策を断行します。秦に続く漢帝国(前漢・後漢、前202年~後220年)はシルクロード交易を推進し、東西交流を活発化させました(後述)。漢の時代には製紙法の発明、儒教の国教化など文化面でも画期が訪れました。

なお、以上の四大文明に加え、中米のメソアメリカ文明(オルメカ、マヤ、アステカ等)と南米アンデス高地のアンデス文明(チャビン、インカ等)を合わせて「六大文明」と呼ぶこともあります。メソアメリカでは紀元前1200年頃からオルメカ文明が栄え、独自の絵文字や暦法を発達させ、その後古典期マヤ文明(250–900年頃)や、15世紀にアステカ帝国が繁栄しました。アンデス地域では紀元前2500年頃からの先陶期文明を経て、インカ帝国(15世紀~16世紀)が高度な行政組織と道路網を整備し、大帝国を形成しました。これら新大陸文明は旧大陸とは独立に発達しましたが、灌漑農業やピラミッド状建造物、太陽暦の使用など興味深い類似点も見られます。

古典古代と世界宗教の誕生

古代文明の形成期を経て、紀元前1000年~紀元後500年頃にかけて、ユーラシア各地では古典古代と呼ばれる文明の成熟期を迎えました。この時期は大帝国の興亡と、今日まで続く世界宗教の成立が特徴です。

古典古代の代表としてまず地中海世界が挙げられます。ギリシャではポリス(都市国家)が乱立し、前5世紀頃にアテネで民主政が行われ、ソクラテス・プラトン・アリストテレスら哲学者が活躍しました。同時期にペルシア帝国(アケメネス朝)がオリエントを統一し、ギリシャと抗争します(ペルシア戦争前5世紀)。やがてマケドニアのアレクサンドロス大王が前4世紀末に東方遠征を行い、ギリシャ・エジプト・ペルシアにまたがる大帝国を建設しました。彼の死後、帝国は分裂しましたが、この遠征によりギリシャ文化が東方と融合したヘレニズム文化が広がります。

地中海西部ではイタリア半島のローマが勢力を拡大しました。ローマは王政から共和政に移行し、前3世紀までに地中海世界を統一します。ガイウス・ユリウス・カエサルの時代を経て、初代皇帝アウグストゥスが前27年にローマ帝国を樹立しました。以後2世紀頃まで「ローマの平和(パクス・ロマーナ)」と称される安定期に繁栄し、ローマ法の整備や道路網の建設など統治制度も発達しました。しかし2世紀末から混乱が生じ、4世紀末には帝国は東西に分裂、5世紀後半に西ローマ帝国は滅亡します(476年)。東ローマ(ビザンティン帝国)はその後も存続しましたが、中世末の1453年にオスマン帝国により滅ぼされました。

この古典期には、精神的な面でも大きな変化がありました。紀元前6~前5世紀頃は軒並み新たな思想・宗教が誕生した時代で、「軸の時代」とも呼ばれます。インドではガウタマ・シッダールタ(釈迦牟尼)が苦行の末に悟りを開いて仏教を創始しました(前5世紀頃)。同時期にヴァルダマーナもジャイナ教を開き、魂の解脱を説きます。インドの二大宗教の誕生は後の南・東アジアに大きな影響を与えました。一方、中東のペルシアではゾロアスター教(拝火教)が隆盛し、善悪二元論に基づく思想を広めました。

紀元後1世紀には、西アジアのローマ支配下のユダヤでキリスト教が誕生しました。ナザレのイエスが現れて神の愛と救いを説きますが十字架刑に処され、その弟子たちがイエスを救世主(キリスト)と信じる教えを広めました。当初ローマ帝国の迫害を受けつつも、地下墓所(カタコンベ)で信仰を守り、313年のコンスタンティヌス帝による公認・392年テオドシウス帝による国教化を経て地中海世界全域に定着しました。キリスト教はやがてカトリック教会・東方正教会に分かれ、中世ヨーロッパの精神的支柱となっていきます。

また、中国では孔子(前6世紀末~前5世紀初頭)が儒教思想を説き、徳による政治と孝・仁など道徳を重んじる教えを残しました。老子・荘子による道家思想も生まれ、自然との調和や無為自然を説いています。これら儒教・道教は後の中国や東アジア社会の価値観を規定し、長きにわたり国家イデオロギーともなりました。

このように、古典古代は政治的には大帝国の時代であり、文化的には普遍宗教や哲学体系の成立した時代でした。次の中世では、古典文明の継承と新たな交流が進み、イスラームの台頭などさらなる変化が訪れます。

中世 – 地域世界の交流と変動

いわゆる中世は、ヨーロッパ史では西ローマ帝国滅亡(476年)から東ローマ帝国滅亡(1453年)まで、あるいは大航海時代(15世紀末)までの約千年間を指します。しかし世界全体で見ると、ほぼ5世紀~15世紀の期間に相当し、この時期は各地域がそれぞれ独自の発展を遂げながらも相互交流が拡大した時代と位置付けられます。以下、主要地域の動向を概観します。

ヨーロッパ中世と封建社会

西ヨーロッパではローマ帝国崩壊後、ゲルマン人諸王国が乱立しました。8世紀にフランク王国のカール大帝(シャルルマーニュ)が西欧の大半を統一し、800年にローマ教皇から戴冠されます。これが西ローマ帝国の復活とも言われ、西欧世界とカトリック教会の結びつきを象徴しました。カール大帝の帝国は分裂しますが、その後、10世紀にオットー1世が神聖ローマ帝国(ドイツ)の皇帝となり、中欧で長く名目上の帝国が続きます。

中世西欧の社会経済の基盤は荘園制と主従制に基づく封建社会でした。土地を媒介に国王・諸侯・騎士が主従関係を結び、農民(農奴)は荘園で領主に貢租と賦役を提供する代わりに保護を受けました。こうした体制下、騎士道精神や身分秩序が重視され、地方分権的な統治が行われました。一方、カトリック教会が精神面で大きな権威を持ち、ローマ教皇と神聖ローマ皇帝の教皇権・皇帝権の争いも生じました。

11~13世紀になると、西欧勢力は十字軍を編成して聖地エルサレム奪還を目指し、計7回にわたり中東へ遠征しました(1096–1270年)。十字軍そのものは最終的に失敗しましたが、この遠征を通じてヨーロッパはイスラム世界の文物(香辛料や古代ギリシャの学問など)に触れ、東西交流が増大しました。また北イタリア諸都市やフランドル地方では商業や金融が発達し、後にルネサンスへとつながる市民層(メディチ家など富裕層)の台頭も見られます。

14世紀にはヨーロッパは危機の時代に直面しました。まずフランスとイングランドの間で王位継承をめぐる百年戦争(1337–1453年)が勃発し、長期にわたり国土が荒廃しました。同じ頃、アジアから伝播したペスト(黒死病)がヨーロッパ全土で大流行し、人口の3分の1〜半数が死亡したとも推計されます。このパンデミックは社会秩序を揺るがし、農奴制の動揺や教会への不信を招きました。また、小氷期と呼ばれる気候寒冷化で農業生産も低下し、飢饉が頻発しました。こうした苦難を経て、中世末には封建制の解体が進み、各国で中央集権的な国民国家の原型(イングランドやフランスでの王権強化など)が成立し始めます。

イスラーム帝国とアジアの繁栄

中世において特に重要な転機となったのが、7世紀前半にイスラーム教(イスラム教)が誕生し、その勢力が急速に拡大したことです。預言者ムハンマドは610年頃に啓示を受けてアッラーへの絶対帰依を説き、イスラーム(「神への服従」の意)を開きました。ムハンマドの死後、正統カリフ時代にアラブ軍は中東からササン朝ペルシャを倒し、ビザンツ帝国からシリア・エジプトを奪うなど急激に版図を広げました。その後ウマイヤ朝(661–750年)は北アフリカを征服し、711年にはイベリア半島に到達して西ゴート王国を滅ぼしました。8世紀にはイスラム帝国は東西にまたがり、「地中海世界のイスラーム化」が進行します。

750年に成立したアッバース朝(都: バグダード)はイスラーム世界の統一王朝として繁栄し、8〜13世紀にかけてのイスラーム黄金時代を現出しました。バグダードの知恵の館(バイト・アル=ヒクマ)には各地から学者が集い、ギリシャ語文献のアラビア語翻訳や、代数学・天文学・医学などの研究が奨励されました。たとえば数学ではインド起源の数字(アラビア数字)やゼロの概念が普及し、医学ではイブン・シーナー(アヴィケンナ)の『医学典範』が著されるなど、イスラム世界は当時の世界最先端の知の中心地となりました。経済的にも地中海・インド洋・シルクロードを結ぶ交易ネットワークを掌握し、香辛料・絹織物・陶磁器などが盛んに取引されました。

一方、東アジアでは中世にかけて中国が再び統一と繁栄を経験しました。隋(581–618年)が混乱の魏晋南北朝時代を収束させた後、唐(618–907年)が成立。唐は都長安を中心に、科挙官僚制による統治と国際色豊かな文化で栄えました。日本・新羅・ベトナムなど周辺諸国も遣唐使などを通じて唐文明を受容しています。8世紀半ばの安史の乱以降は弱体化するも、唐は東西交易の十字路として隆盛を維持し、詩人李白・杜甫らの活躍する高度な文化が花開きました。

唐滅亡後の五代十国時代を経て、10世紀後半に宋(北宋: 960–1127年、南宋: 1127–1279年)が興ります。宋代は経済発展が著しく、江南の稲作生産増により人口が急増、商業・手工業も貨幣経済の浸透とともに活況を呈しました。世界初の紙幣「交子」が発行され、火薬や羅針盤・活版印刷術など技術革新も相次ぎました。宋は儒教を再構築した朱子学を官学とし、知的にも洗練された社会でしたが、一方で北方異民族の侵攻に悩み、北宋は契丹(遼)・女真(金)に圧迫されて江南に退き(南宋)、やがて13世紀にモンゴルに滅ぼされます。

中東イスラーム圏では、アッバース朝カリフの権威は象徴化し各地が独立を始めます。10世紀にはシーア派のファーティマ朝がエジプトに建ち(首都カイロ)、11世紀には中央アジアから来たセルジューク朝がバグダードに入りスルタンとして実権を握りました(スンナ派復興)。セルジューク朝は小アジアにも進出してビザンツ帝国を圧迫し、これが先述の十字軍遠征の遠因となります。13世紀にモンゴル帝国のフラグが中東を征服し、1258年にバグダードが陥落してアッバース朝は滅亡しました。その後イラン・イラク地域にはモンゴル系のイルハン朝が成立しますが、イスラームは逆にモンゴル人を改宗させて同化し、やがてティムール朝(14~15世紀)やオスマン帝国(13~20世紀)などの新勢力が現れていきます。

南アジアでは、インドに侵入したイスラム勢力が13世紀にデリーに政権(奴隷王朝)を立て、その後もトゥグルク朝などデリー・スルタン朝が続きました。イスラム教は北インドに広まり、ヒンドゥー教勢力との共存と対立が中世インドのテーマとなります。一方、南インドではヒンドゥー系のヴィジャヤナガル王国(14~17世紀)が栄えました。東南アジアでも交易拡大に伴い、マレー・インドネシア世界に13世紀以降イスラム教が浸透し、マラッカ王国などイスラム教国が誕生します。これらはインド洋交易ネットワークの一翼を担いました。

モンゴル帝国とユーラシア交流圏

中世後期、ユーラシア大陸を一時的に一つの政治枠組みの下に組み込んだのがモンゴル帝国です。モンゴル高原の遊牧民を統合したチンギス・ハン(テムジン)は、1206年にクリルタイ(部族長会議)でハーン(単于)に推戴され大モンゴル国の成立を宣言しました。以後、チンギス・ハンとその子孫たちは西は中央アジア・中東・東欧、東は中国本土・朝鮮半島に至るまで怒涛の征服戦争を繰り広げ、13世紀半ばまでに史上最大の版図を築きました。チンギスの孫たちはユーラシア各地にハン国(ジョチ家のキプチャク・ハン国、チャガタイ・ハン国、フラグのイルハン国など)を建て、最終的にチンギスの末子トルイの子クビライ(フビライ)が元朝(大元ウルス)として中国を統一しました(1271年建国、1279年南宋を滅ぼす)。

モンゴル帝国のもたらした最大の影響は、ユーラシア大陸の東西交流の拡大でした。征服戦争自体は各地に甚大な破壊と人口減少をもたらしましたが、モンゴル支配下では道中の安全が確保され、シルクロードの交易路が Pax Mongolica(モンゴルの平和)と称される安定期に入りました。これにより、東アジアの製品や技術(火薬・羅針盤・紙の製法など)が西方へ急速に伝播し、西方からもイスラム科学や地理知識が東方へ流入しました。有名な例として、ヴェネツィアの商人マルコ・ポーロが元の大都(北京)を訪れ『東方見聞録』を著したことや、モロッコのイブン・バットゥータが元朝やインドを旅して記録を残したことが挙げられます。遠隔地間の人的移動も活発化し、ペルシア人技術者やウイグル人官僚が元朝に仕え、ルブルックなどヨーロッパの宣教師がモンゴル宮廷を訪問しました。

モンゴル帝国は14世紀に入ると次第に分裂・同化が進みます。中国では元が漢民族の反乱(紅巾の乱)で1368年に滅んで明が成立し、モンゴル本土は北元として草原地帯に退きました。西方でもモンゴル系ハン国は次第にトルコ・イスラム化し、中央アジアではティムール朝の勃興など新勢力に取って代わられていきます。しかしモンゴルの衝撃は各地に長期的影響を残しました。中国では元代に社会的流動性が高まり、明以降に海禁政策を採る一因となりました。イスラム世界ではモンゴル征服によりアッバース朝が滅亡し、以後オスマン帝国など新秩序への移行が促されました。ヨーロッパではモンゴルの西進がハンガリー・ポーランドにまで及んだため大きな脅威を感じましたが、一方でモンゴル帝国経由で得た知識や技術が後のルネサンスや大航海時代に寄与したとの見方もあります。

因果関係のスニペット: モンゴル帝国とヨーロッパ復興

  • 要因: 13世紀、モンゴル帝国の西方遠征でイスラム勢力が打撃を受け、ユーラシア東西間の交易路が安定化。
  • 出来事: 1258年にモンゴル軍がバグダードを陥落させ、イスラム黄金時代が終焉。同時期に中国の宋・南宋が滅亡しユーラシアが一体的に繋がる。
  • 結果: 東方の学問や技術がヨーロッパにもたらされ、14世紀以降のルネサンスの胎動を促した可能性が指摘される(例: 火薬・羅針盤がヨーロッパへ伝播し、大航海や軍事革命に繋がった)。ただし一方で、東西交流拡大は黒死病の伝播も招き、14世紀半ばに欧州で人口の激減を引き起こした。

以上、中世は地域ごとに異なるダイナミズムが見られましたが、ユーラシアの一体化が着実に進んだ時代でもありました。15世紀末になると、陸上のシルクロードに加えて海を舞台にした大航海時代が到来し、世界史はいよいよ近世から近代へと大転換していきます。

近世 – 大航海とグローバル化の始まり

近世はおおよそ15世紀後半から18世紀までの時代で、ヨーロッパにおけるルネサンス・宗教改革と重なり、そして何よりも大航海時代の幕開けによって特徴付けられます。ユーラシア内部の陸上ルートに対し、海洋を通じた世界の一体化が進んだのが近世の顕著な動きです。この時期、地理的発見とそれに続く植民地競争により、世界規模の交流が本格化しました。

大航海時代と植民地拡大

15世紀末、ヨーロッパの国々はアジアの香辛料や富を求め、新たな航路開拓に乗り出しました。ポルトガルのエンリケ航海王子の推進の下、アフリカ西岸航海が進み、1488年にバルトロメウ・ディアスがアフリカ南端の喜望峰に到達。続いて1498年、ヴァスコ・ダ・ガマが喜望峰経由でインドのカリカットに到達し、インド航路を開拓しました。スペインではクリストファー・コロンブスが大西洋を西へ航海し、1492年にカリブ海の島(サンサルバドル島)に到着しました。彼はインドに到達したと信じましたが、これがヨーロッパ人によるアメリカ大陸発見(到達)と位置づけられています。

コロンブスの“新大陸”発見以降、ヨーロッパ人は競ってアメリカ大陸の探査と征服に乗り出しました。スペインのコンキスタドール(征服者)たちは16世紀前半にアステカ帝国(1521年滅亡)やインカ帝国(1533年滅亡)を武力征服し、莫大な金銀を本国にもたらしました。これら征服の過程で、現地先住民は伝染病(天然痘など)の流行にも直面し、人口の大半(地域によっては90%以上)を失う壊滅的打撃を受けました。このような旧大陸と新大陸の生物・文化の大交換はコロンブス交換と呼ばれます。旧大陸から新大陸へは馬・牛・小麦・病原体がもたらされ、新大陸から旧大陸へはトウモロコシ・ジャガイモ・トマト・タバコなどが伝わり、世界の食生活や経済に長期的影響を与えました。

スペインとポルトガルは教皇子午線とトルデシリャス条約(1494年)によって世界の勢力圏を分割し、16世紀を通じて広大な海外植民地帝国を築きました。スペインは中南米とフィリピンを支配し、ポトシ銀山などから産出する銀はガレオン船でヨーロッパ・アジアにも流通しました。一方ポルトガルはインド洋交易の要衝(ゴア、マラッカ、モルッカ諸島、マカオなど)を抑えて香辛料貿易を独占し、ブラジルも領有しました。しかし16世紀後半になるとスペイン・ハプスブルク朝の勢力伸長に対抗して、オランダ・イギリス・フランスといった北西ヨーロッパ勢も台頭します。

17世紀、オランダは強力な商業海軍を擁してポルトガル勢力を駆逐し、東インド会社(VOC)を通じ香辛料貿易を掌握しました。ニューアムステルダム(後のニューヨーク)など北米拠点も一時確保します。イギリスも東インド会社を設立(1600年)し、インドに進出するとともに北米東海岸に13植民地を築きました。フランスもカナダやルイジアナ植民地、インドの一部に勢力を広げました。これら欧州列強間では植民地や海上覇権をめぐる戦争が相次ぎます(例: 7年戦争1756–63年)。最終的に18世紀後半までに、イギリスがフランスを抑えて北米・インドで優位に立ち、19世紀に覇権国家となる基盤を固めました。

一方、ヨーロッパの影響が及ぶ以前からアジア内部でも活発な交流が続いていました。中国では明(1368–1644年)が漢民族王朝として安定を回復し、15世紀初頭には鄭和の大船団が南海・インド洋に遠征して朝貢ネットワークを拡大しました。明はその後海禁策に転じますが、民間交易は続き、17世紀に勃興した(満洲族の王朝、1644–1912年)は明代後期の混乱を収拾して中国全土と中央アジア・チベット・新疆など史上最大の版図を支配下に置きました。インドではイスラム勢力に代わり、16世紀に成立したムガル帝国(1526–1858年)が北インドを中心に繁栄しました。アクバル大帝(在位1556–1605年)のもとでヒンドゥーとの融和政策や行政改革が行われ、タージ・マハル廟に代表されるムガル美術が開花しました。ただし18世紀にはムガル帝国は弱体化し、地域勢力が台頭するとともにイギリス東インド会社が政治介入を強めていくことになります。

ルネサンス宗教改革も近世の重要な出来事です。ルネサンスは14~16世紀にイタリアから始まった古典文化の再生運動で、レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロに代表される美術、コペルニクス・ガリレオらの地動説提唱など、人文主義と科学の発展をもたらしました。宗教改革は1517年、ドイツのマルティン・ルターが「95か条の論題」を公表し、カトリック教会の腐敗を批判したことに端を発します。その後カルヴァンやツヴィングリも改革を進め、ヨーロッパ北部でプロテスタント(新教)が成立しました。一方、カトリック側も対抗宗教改革としてトリエント公会議を開き、イエズス会の海外布教などで巻き返しを図りました。このカトリックとプロテスタントの対立は欧州内の政治抗争にも結びつき、三十年戦争(1618–48年)などの惨禍を経て、最終的に主権国家体制(ヴェストファーレン条約による国際秩序)が確立することになります。

総じて近世は、ヨーロッパの世界進出が始まり、世界商業圏が形成された時代でした。その過程で文化・技術の大交流が起こり、各地の社会を変容させていきました。続く近代では、産業革命によって生産力が飛躍するとともに、欧米諸国が世界の大部分を植民地支配する体制が形作られていきます。

ルネサンス・宗教改革と近世欧州

(※上記セクションですでにルネサンスと宗教改革についても触れたため、重複を避け簡潔にまとめました。)

ルネサンス(文芸復興)期のヨーロッパでは、人間性の解放や古代の知識復興が進みました。グーテンベルクの活版印刷(15世紀半ば)により書物が普及し、知の伝播が加速しました。これは宗教改革の拡大にも大きく寄与します。1517年にルターがローマ教皇による贖宥状(免罪符)販売を批判すると、印刷された彼のドイツ語聖書やパンフレットが瞬く間に広がり、多くの民衆や諸侯が賛同しました。各地でカトリックから離脱してルター派・カルヴァン派などの新教会が成立し、結果的にヨーロッパの宗教地図は二分されました。

宗教改革の波は政治にも波及し、ドイツではシュマルカルデン戦争(1546–47年)を経て1555年のアウクスブルクの和議で「領邦の宗教は領主が決定する」という原則が確認されました。その後も対立は残り、17世紀の三十年戦争では神聖ローマ帝国内の新旧両派および列強が入り乱れて戦いました。この戦争は住民の3割が犠牲となるほど苛烈で、最終的に1648年のヴェストファーレン条約では諸侯の主権が国際的にも認められ、主権国家体制が確立しました。この体制は「中世的な普遍帝国・教皇権の終焉」を意味し、近代国際社会の幕開けとも評価されます。

一方、17~18世紀のヨーロッパでは絶対王政が各国で強化されました。典型はフランスのルイ14世(在位1643–1715年)で、ヴェルサイユ宮殿に代表される宮廷文化を繁栄させ「太陽王」と呼ばれました。重商主義政策で植民地経営も拡充されましたが、その繁栄の裏で農民や市民の不満も高まります。18世紀に入ると啓蒙思想が広がり(ヴォルテール、モンテスキュー、ルソー等)、人間の理性と平等を重んじる考えが王政や旧体制(アンシャン・レジーム)を批判しました。これらの思想はアメリカ独立革命(1775–83年)やフランス革命(1789年)を思想面で支え、近代革命の原動力となっていきます。

近代 – 産業革命と帝国主義

近代は18世紀後半から20世紀前半(第一次世界大戦期)までを指すことが多く、人類社会が急速に工業化・都市化し、現在の国際秩序の原型が形作られた時代です。産業革命による経済構造の転換、市民革命による政治体制の変革、欧米列強による世界分割と帝国主義の拡大がその三大要素と言えるでしょう。

産業革命と欧米の台頭

18世紀半ば、産業革命がまずイギリスで始まりました。技術革新により生産方式が手工業から機械制工場へと変わり、綿織物工業を皮切りに飛躍的な生産力向上が実現しました。ジェームズ・ワットの改良蒸気機関(1769年特許)は蒸気エンジン時代を開き、織機・紡績機の発明(ハーグリーブスのジェニー紡績機、アークライトの水力紡績機、カートライトの力織機など)や製鉄技術の向上が相次ぎます。鉄道・蒸気船の登場(19世紀前半)で輸送革命が起こり、人や物資の移動時間が劇的に短縮されました。

イギリスが工業化に成功した背景には、16~17世紀の囲い込み(エンクロージャー)による農業革命で労働力と食糧生産が確保されたこと、豊富な石炭・鉄資源の存在、広大な海外市場(植民地)と海軍力による海上覇権などが挙げられます。この「世界初の工業化」によって、イギリスは「世界の工場」と呼ばれる圧倒的経済力を手にしました。さらに産業革命はヨーロッパ大陸や北米にも広がります。19世紀前半にはベルギー・フランス・アメリカ合衆国、後半にはドイツや日本(明治維新後)・ロシア帝国なども工業化を進めました。産業革命を経験した国々では、工場労働者である労働者階級(プロレタリアート)と資本家階級(ブルジョワジー)という新たな身分区分が生まれ、都市への人口集中と社会問題(労働搾取や公害、労働災害)が深刻化します。これに対し各国で労働運動や社会主義思想(マルクスとエンゲルスの『共産党宣言』1848年)が台頭し、労働条件の改善や社会改革を求める声が高まっていきました。

産業革命はまた、世界の経済バランスを大きく変化させました。ヨーロッパとアメリカが工業製品を大量生産し、アジア・アフリカ・ラテンアメリカは原料供給地・市場として組み込まれる構造が形成されました。例えばイギリスはインドに綿布を輸出し、インドの綿織物産業を壊滅させました。インドやエジプトでは原料作物(綿花、アヘンなど)のプランテーション化が進み、伝統的自給経済は破壊され植民地経済へ転換しました。19世紀後半には国際的分業体制が固定化し、先進工業国 vs 後進農業国という構図が生まれます。この過程で世界貿易は飛躍的に拡大し、金本位制に基づく国際通貨体制も整備されていきました。

政治面では、18世紀末から19世紀前半にかけて一連の市民革命が起こり、近代国家の原理が確立しました。1776年のアメリカ独立宣言は「すべての人間は平等に創られ…生命・自由・幸福追求の権利を有する」とうたい、植民地アメリカが欧州宗主国からの独立と民主国家樹立を果たしました。その理念はフランス革命(1789年)に引き継がれ、人権宣言や共和政樹立をもたらしました。ナポレオン戦争を経て一時旧体制が復古したものの、やがて1830年・1848年の革命の波や民族運動が欧州各地を揺るがし、近代憲法と議会政治を導入する国が増えました。ドイツとイタリアではそれぞれ1871年に統一国家が成立し、これら新興国は富国強兵政策によって急速に国力を伸ばしました。

日本は1853年のペリー来航以降開国を迫られ、1868年の明治維新によって近代国家への転換を図ります。廃藩置県による中央集権化、徴兵制・学制の創設、富国強兵と殖産興業(製糸・紡績など軽工業から工業化開始)、欧米法制・文化の移入など、短期間での急速な近代化に成功しました。清朝中国も列強の圧力に晒され、アヘン戦争(1840年~)敗北後、不平等条約による半植民地化が進みます。自強運動として洋務(西洋技術導入)も試みられましたが十分な成果を上げられず、1894–95年の日清戦争敗北や各国による勢力圏分割で危機が深まりました。

こうした産業革命後の国家間力関係の変化は、やがて帝国主義時代へと繋がります。欧米列強は圧倒的な軍事力・経済力を背景に、全世界の植民地支配と市場獲得を競い合うことになりました。

帝国主義時代と世界の分割

19世紀後半から20世紀初頭にかけては、帝国主義の時代と呼ばれます。産業資本主義が成熟する中で各国は余剰資本の投下先と原料供給地、市場を求め、アフリカ分割やアジアへの植民地拡大を競いました。

アフリカでは、1880年代以降の「アフリカの争奪戦」により、ほぼ全域が欧州列強により植民地化されました。ベルリン会議(1884–85年)で列強による領有のルールが定められ、イギリスはエジプトから南部アフリカへ縦断政策(ケープ・カイロ夢)、フランスは西北アフリカからジブチへ横断政策をとりました。ドイツもビスマルク体制下で東西アフリカに進出し、ベルギー王はコンゴ自由国を私領化しました。エチオピアとリベリアを除く全アフリカが支配下に置かれ、先住民は過酷な収奪に苦しみました。植民地経営のもと、インフラ整備や近代教育も一部進みましたが、基本的には宗主国への経済奉仕が強いられ、人種差別的な支配構造が構築されました。

アジアでは、清帝国が阿片戦争(1840–42)・アロー戦争(1856–60)に敗れて以降、イギリス・フランス・ロシア・日本などに領土や利権を奪われました。ロシアは中央アジアを征服しシベリア鉄道を敷設、イギリスはビルマ(現在のミャンマー)を併合、フランスはインドシナ半島(ベトナム・カンボジア・ラオス)を植民地化しました。オランダは東インド(現インドネシア)を引き続き支配下に置き、アメリカ合衆国も米西戦争(1898年)でフィリピンを得て太平洋へ進出します。日本は日清戦争で台湾を獲得し、続く日露戦争(1904–05年)に勝利して南満州の権益や韓国併合(1910年)を実行し、帝国主義列強の一員となりました。

帝国主義の時代には列強間の緊張も高まり、軍拡競争や同盟ブロック化が進行しました(イギリス・フランス・ロシアの三国協商 vs ドイツ・オーストリア=ハンガリー・イタリアの三国同盟)。一方、植民地支配を受ける側でも反発が強まり、インドではインド国民会議などによる自治・独立運動、中国では孫文を指導者として清朝を打倒する辛亥革命(1911年)が勃発し、アジア初の共和国である中華民国が成立しました。

20世紀初頭までに、世界地図は列強の植民地帝国によってほぼ塗り尽くされました。イギリス帝国は「太陽の沈まぬ国」と呼ばれるほど広大な領土を持ち、フランス帝国もそれに次ぐ植民地人口を抱えました。この世界分割体制の中、列強諸国は自国の繁栄を競いましたが、その緊張の行き着く先として1914年、ついに第一次世界大戦という大規模な戦乱が勃発することになります。

現代 – 世界大戦と冷戦・グローバル化

現代は20世紀から現在までの時代で、人類史上かつてない規模の戦争と変化を経験した激動の時代です。二度の世界大戦とそれに続く冷戦、そして科学技術の飛躍的発展とグローバル化が現代史のキーワードです。このセクションでは、まず世界大戦と戦後秩序の形成、その後の冷戦と脱植民地化、さらに冷戦終結から現在に至るまでを概観します。

第一次・第二次世界大戦

第一次世界大戦(1914–1918年)は、人類初の総力戦・世界規模の戦争でした。オーストリア皇太子が暗殺されたサラエボ事件をきっかけに、同盟国(ドイツ・オーストリア=ハンガリー・オスマン帝国など)と協商国(イギリス・フランス・ロシア〈途中離脱〉・イタリア・日本・米国〈途中参加〉など)がヨーロッパを主戦場に激突しました。機関銃や毒ガス、戦車など新兵器が投入され、西部戦線では塹壕戦による消耗戦が展開しました。1917年にはロシアで二月革命・十月革命が起こりソビエト政権が成立(ロシアは単独講和)、アメリカ合衆国が協商国側で参戦して戦局を決定づけました。最終的に協商国が勝利し、1919年のヴェルサイユ条約でドイツに巨額賠償と植民地喪失など厳しい条件が課されました。第一次大戦の結果、ヨーロッパの四大帝国(ドイツ帝国・オーストリア=ハンガリー帝国・ロシア帝国・オスマン帝国)は崩壊し、多くの新興国(ポーランド、チェコスロバキア、ユーゴスラビア等)が誕生しました。戦後、世界平和の機構として国際連盟が発足しましたが、アメリカ不参加や制裁手段の弱さもあり、紛争抑止の十分な役割は果たせませんでした。

戦間期(1918–1939年)は、繁栄と危機が交錯しました。1920年代前半は米・欧で経済繁栄(いわゆる「狂乱の20年代」)を享受しましたが、1929年のニューヨーク株式市場暴落に端を発する世界恐慌が発生すると一転、失業と社会不安が広がりました。各国はブロック経済を形成して保護貿易に走り、民主主義国でも政府への信頼が揺らぎます。この混乱の中で、全体主義と呼ばれる体制が勢力を増しました。ソ連ではスターリンが一国社会主義体制を強化し、五カ年計画による急速な工業化と農業集団化を推進しました。イタリアではムッソリーニ率いるファシスト党が1922年に政権を握り、ナチス・ドイツではヒトラーが1933年に首相就任後、議会制を廃して独裁体制を築きました。日本でも軍部の影響力が増大し、1931年には満州事変を起こして満州国を樹立するなど侵略的外交を強めます。

こうして再び国際緊張が高まる中、第二次世界大戦(1939–1945年)が勃発しました。ドイツのポーランド侵攻(1939年9月)に英仏が宣戦し欧州戦争が始まり、1941年にはナチス・ドイツがソ連に侵攻、さらに日本が真珠湾を攻撃して米国が参戦、戦火は全世界に拡大しました。第二次大戦は人類史上最大の動員と犠牲者を出し、ホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)や原子爆弾投下(1945年、広島・長崎)といった未曾有の惨事を伴いました。戦局は連合国(米・英・ソ・中仏など)が枢軸国(独・伊・日)を打ち破り、1945年5月に独が無条件降伏、同年8月に日本も降伏して終結しました。大戦後、国際平和維持の新たな枠組みとして国際連合(国連)が設立され(1945年10月)、米英仏ソ中の五大国を安全保障理事会常任理事国とする体制が整えられました。

冷戦と脱植民地化

第二次大戦後、かつてのヨーロッパ列強は疲弊し、代わってアメリカ合衆国とソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)が二大超大国として台頭しました。両国は冷戦と呼ばれる世界的規模の政治・経済・軍事上の対立に突入します(1947年頃~1991年)。アメリカは自由主義・資本主義陣営の盟主として西欧や日本を支援し、マーシャル・プランによる欧州復興や北大西洋条約機構(NATO)結成(1949年)で西側ブロックを形成しました。一方ソ連は共産主義・社会主義陣営を率い、東欧諸国に親ソ政権を樹立(東欧衛星国)して1949年に経済相互援助会議(COMECON)、1955年にワルシャワ条約機構を結成し東側ブロックを築きました。両陣営は直接戦火を交えることは避けつつ、核兵器と軍備の拡張競争(恐怖の均衡)を繰り広げました。

冷戦下では各地で代理戦争や紛争が頻発しました。朝鮮戦争(1950–53年)では北側の朝鮮民主主義人民共和国と中ソ支援 vs 南側の大韓民国と国連軍(主に米軍)の構図で戦われ、休戦となりました。ベトナム戦争(1960年代~75年)では米国がベトナム共産勢力の拡大を阻止しようと介入しましたが、泥沼化の末に敗退しました。中東ではアラブ・イスラエル戦争(1948年~)、キューバ危機(1962年)では核戦争寸前の緊張も経験しました。

一方、戦後は欧米列強の植民地支配に対してアジア・アフリカで独立の波が起こりました。インド・パキスタンが1947年にイギリスから独立し、インドシナでも第一次インドシナ戦争を経てベトナム共和国などがフランス支配から独立(1954年ジュネーヴ協定)しました。アフリカではガーナ(1957年)を皮切りに1960年前後「アフリカの年」と呼ばれる大量独立が実現し、ほとんどの植民地が主権国家となりました。こうした脱植民地化はアジア・アフリカ諸国のナショナリズムの高揚によるものであり、新興独立国は「第三世界」として非同盟・中立を掲げたり(1955年バンドン会議)、米ソいずれかの陣営に与するなど、様々な道を模索しました。ただし独立後も旧宗主国の経済的影響が残るケースや、民族・宗教対立による紛争、冷戦の代理戦争化など課題も多く、真の意味での解放には困難が伴いました。

西側諸国では戦後復興と経済成長が達成されました。米国は戦後一貫して資本主義陣営のリーダーとして軍事・経済両面で支配的地位に立ち、国内でも豊かな大量消費社会が到来しました。西欧ではマーシャル・プラン援助も奏功し1950年代に「西欧の奇跡」と呼ばれる高成長が実現、域内協調も進んで欧州共同体(EC)が結成(1957年ローマ条約)されました。日本も朝鮮戦争特需などを追い風に高度経済成長(年率10%超の成長が約20年続く)を遂げ、1960年代末には資本主義世界第2位の経済大国に浮上しました。一方、東側ではソ連が1957年に人類初の人工衛星スプートニクを打ち上げ宇宙開発競争で先行しつつも、1960年代以降は計画経済の停滞や衛星国の不満が表面化します(ハンガリー動乱1956年、プラハの春1968年などでソ連軍が介入)。中国は共産党の毛沢東が1949年に中華人民共和国を建国し、ソ連と提携しながら自立路線をとりましたが、文化大革命(1966–76年)などの混乱を経て1970年代末からは改革開放政策で市場経済を導入し始めました。

1980年代になると、米ソ間のデタント(緊張緩和)を経て、ソ連のゴルバチョフ政権がペレストロイカ(改革)とグラスノスチ(情報公開)を推進しました。しかし東欧諸国では民主化革命が相次ぎ、1989年にベルリンの壁崩壊、1991年にソビエト連邦そのものが解体して冷戦は終結しました。米ソ二極の時代は幕を下ろし、アメリカが唯一の超大国としてポスト冷戦時代を主導することになります。

冷戦後とグローバル時代

冷戦終結(1991年)後、国際社会はグローバリゼーション(世界の一体化)が一層加速する時代に入りました。市場経済と情報技術を基盤に、ヒト・モノ・カネ・情報が国境を越えて活発に行き交う地球規模の統合が進みました。1990年代には欧州連合(EU)が発足(1993年)し、共通通貨ユーロ導入(1999年)や東欧諸国の加盟拡大など、欧州の統合が深まりました。国際連合の平和維持活動も盛んになり、日本なども積極的に参加しました。また、1995年には世界貿易機関(WTO)が成立し自由貿易体制が強化され、中国・ロシアなども含めほぼ全世界が加盟する経済枠組みが整いました。

しかし同時に、新たな課題も台頭します。2001年の同時多発テロ事件ではアメリカ本土が標的となり、これは国際テロリズムとの戦いとしてアフガニスタン戦争・イラク戦争へと連鎖しました。宗教的・民族的紛争は冷戦後も各地で頻発し(旧ユーゴスラビア内戦、ルワンダ虐殺、中東の対立など)、地域紛争が国際治安上の焦点となりました。また、アメリカ一極優位の中で経済面では新興国が躍進します。BRICS(ブラジル・ロシア・インド・中国・南アフリカ)諸国は21世紀に入り高成長を遂げ、中国は2010年代にGDPで米国に次ぐ第2位となり国際政治・経済への影響力を強めています。

科学技術の進歩もめざましく、インターネットは1990年代から急速に普及し、人類は情報化社会ネットワーク社会へ移行しました。通信やメディアのグローバル化は文化の均質化をもたらす一方、各地の伝統文化の見直しやアイデンティティ運動の活発化も促しています。地球環境問題も無視できません。20世紀後半の工業化と人口爆発は温室効果ガス排出による地球温暖化を進行させ、気候変動が人類全体の課題となりました。1980年代以降、環境サミットや気候変動枠組条約(京都議定書1997年、パリ協定2015年)など国際的取り組みも行われていますが、対応は各国で温度差があります。

21世紀の現在、世界史はなお進行中です。冷戦期に比べ多極化が進み、米中対立や地域大国間の駆け引きが顕著です。一方で経済やデータは一体化しており、新型コロナウイルスのパンデミック(2020年~)では世界的に人や物資の流れが一時停止しつつも、ワクチン開発などで各国協調も見られました。人類が直面する課題(感染症、公衆衛生、気候変動、核拡散、貧困など)はグローバルな対応を必要としています。歴史の知見から、分断ではなく協調による解決策が模索される時代へと進んでいると言えるでしょう。

横断テーマで見る世界史

世界史の流れを理解するには、時代区分ごとの出来事を追うだけでなく、横断的なテーマに注目することも有益です。以下に、世界史を通じて重要ないくつかのテーマを取り上げ、その変遷を簡潔にまとめます。

  • 宗教と思想の拡散: 宗教・思想は社会の在り方を規定する重要な要素であり、その伝播は歴史に大きな影響を与えてきました。例えば仏教はインドで誕生後、紀元前3世紀にマウリヤ朝のアショーカ王の支援で広まり、中央アジア経由で東アジアにも伝来しました。キリスト教はローマ帝国で公認・国教化された後、ゲルマン人へ布教されヨーロッパに浸透。7世紀創始のイスラーム教はジハード(聖戦)や交易を通じて中東・北アフリカから南欧、中央・南アジア、東南アジアに広がりました。近世以降、キリスト教宣教師がアメリカ先住民やアフリカ・アジアに布教し、今日ではキリスト教・イスラム教が各約20億人、ヒンドゥー教10億人、仏教5億人規模の信徒を持つ世界宗教となっています。思想面では、古代のギリシャ哲学・中国諸子百家、近代の啓蒙思想・社会主義思想などが国境を越えて受容され、各地の社会改革や政治運動を後押ししました。
  • 科学技術の発展: 火の使用や石器から始まった技術革新は、農耕技術(青銅器・鉄器)による文明の成立へ繋がりました。古代には天文学・数学・医学がエジプト・メソポタミア・ギリシャ・インド・中国でそれぞれ高度化し、イスラム黄金時代にそれらが統合・発展されました。ルネサンス以降の科学革命では地動説や近代物理学(ニュートン力学)が確立し、産業革命期には応用科学が飛躍。19世紀には電気の利用、20世紀前半には原子力や航空宇宙技術が登場し、人類の活動範囲は空・宇宙にまで拡大しました。21世紀現在は情報技術革命(IT革命)・AI技術が進行中で、科学技術はかつてないスピードで進歩しています。ただ、科学技術は核兵器や環境破壊など負の側面も伴うため、その平和利用と制御が問われ続けています。
  • 交易ネットワークと金融制度: 商業交易は文明の接触を促し富の分配を変えてきました。古代のオリエントでは陸上のシルクロードが漢帝国とローマ帝国の間接交易を可能にし、香料や絹が中継されました。インド洋交易圏も古代から存在し、ムスリム商人が8~15世紀に海の道を支配して中国・東南アジア・インド・中東・東アフリカを結びました。中世後期には地中海商人(ヴェネツィア・ジェノヴァ)が活躍し、東方の香辛料を欧州にもたらしています。近世以降、大航海時代によって世界貿易網が完成し、アジアの香辛料・茶・絹、アメリカの銀・砂糖、アフリカの奴隷などが地球規模で移動しました。これに伴い近代的な金融制度も発達し、イタリア商人が手形や二重簿記を考案、17世紀にはオランダや英仏で株式会社・証券取引所・中央銀行が出現しました。20世紀後半から現在は金融のグローバル化が極度に進み、為替や株式、デリバティブ市場が世界経済を左右する時代となっています。
  • 国家形成と統治システム: 人類の社会組織は、小さな共同体(部族・都市国家)から大規模な帝国、そして近代的な国民国家へと発展してきました。古代帝国は王や皇帝が神権的権威で広域統治を行い(例: アケメネス朝ペルシャのサトラップ統治、秦の中央集権など)、中世ヨーロッパでは封建的分権体制、東アジアでは科挙官僚制による中央集権体制が敷かれました。近代に入ると主権国家の概念が確立し(ヴェストファーレン条約以降)、国民意識を基盤とする国民国家が普遍化しました。統治体制も絶対王政から立憲政治・民主主義へと移行し、人権保障や法の支配が理念となりました。ただし20世紀には全体主義体制や軍事独裁も各地で生まれ、一時的に民主主義が後退する局面もありました。現在も政治体制は国によって様々ですが、グローバルな課題への対応には国家を超えた協調統治(ガバナンス)の模索が進んでいます。
  • 環境変動・疫病と歴史: 人間社会は自然環境や疫病から大きな影響を受けてきました。例えば気候が安定した完新世に農耕が開始され文明が生まれましたが、一方で気候ショックが文明崩壊を引き起こす例もあります。代表的なのが14世紀の小氷期で、気温低下による凶作がヨーロッパで飢饉(1315–17年大飢饉)を招き、続く黒死病パンデミックで人口が激減、封建制解体の遠因となりました。17世紀前後の小氷期極期にも各地で動乱(明朝滅亡、フランスのフロンドの乱等)が頻発しています。疫病については、古代アテネでのペスト(紀元前5世紀)、ローマ帝国時代のアントニヌスの疫病(2世紀末)やユスティニアヌスの疫病(6世紀)、新大陸征服時の先住民壊滅(16世紀)、インフルエンザ世界的流行(1918年)など、歴史の転換点で繰り返し登場します。21世紀の新型コロナ禍も含め、疫病対応はグローバルな協力課題となっています。
  • 人口移動・ディアスポラの歴史: 人類史は移民移動の歴史でもあります。最初の大移動は出アフリカでしたが、その後も民族移動が繰り返されました。古代後期~中世初期のゲルマン人の大移動(4~6世紀)はローマ世界の姿を変え、7世紀以降のアラブ人拡散やトルコ人の移動はイスラム世界の版図を広げました。中央アジアの騎馬遊牧民(匈奴・フン・モンゴルなど)の移動は各地に連鎖的影響を及ぼしました。10~15世紀のバントゥー人のアフリカ内拡散、ポリネシア人の太平洋拡散もその地域の文化基盤を築いています。近代には欧州人が大量に新大陸へ渡り(19世紀だけで5000万人超が移民)、北米・南米・オセアニアの人口構成を塗り替えました。アフリカからの奴隷貿易で約1000万~1500万人が強制移送された悲劇もありました。現代では国際移民は2億人を超えるとされ、人の大規模移動(難民問題含む)は社会経済の大きな要素です。また、移民により各地に生まれたディアスポラ(在外共同体)は、中華系・印僑・ユダヤ人など経済ネットワークや文化交流で重要な役割を果たしています。
  • 文化交流と伝播: 世界各地の文化(言語・文字・芸術・制度)は、征服・通商・宣教などを通じて相互に伝播し、新たな創造の源泉となりました。例えばヘレニズム文化はギリシャとオリエントの融合文化として西アジアまで広がり、ガンダーラ美術など東西折衷の産物を生みました。シルクロードは絹や香料だけでなく、仏教美術や楽器、ガラス工芸など文化財も運びました。イスラム世界は古代ギリシャ・ローマと東洋の知識を集積し、再編してヨーロッパに伝える「知の仲介役」を果たしました。モンゴル帝国期にはペルシアの天文学者が中国暦に影響を与え、ヨーロッパの地図に東洋の情報が描き加えられました。大航海時代以降は、コロンブス交換で料理や農業にも文化混交が見られ、たとえばトマトがイタリア料理に不可欠になり、唐辛子がインド・東南アジア・朝鮮の食文化を変えました。日本の浮世絵が19世紀ヨーロッパ印象派に刺激を与えたジャポニスムの例もあり、文化の交わりは常に新たな潮流を生み続けています。

以上のような横断テーマを追うことで、歴史の多面的な姿が浮かび上がります。世界史とは単に王朝や戦争の年代記ではなく、宗教・技術・環境・文化など様々な要因が織りなす総合的なプロセスであることが理解できます。

各地域別の歴史概要

続いて、世界の各主要地域ごとに、その歴史の流れを概観します。世界史は従来ヨーロッパ中心に語られがちでしたが、ここでは東アジアから中東、アフリカ、アメリカまでバランスよく触れます。地域ごとの固有の歩みにも目を向け、グローバルな歴史像を補完します。

  • 東アジア: 東アジアは中国文明を中心に展開しました。古代に殷・周の王朝、春秋戦国の戦乱を経て、秦・漢の統一帝国が出現。漢の後の三国・晋・南北朝分裂期もありましたが、隋・唐(6~9世紀)が再統一し律令制度・科挙など洗練された官僚国家を実現しました。宋(10~13世紀)は経済革命と技術革新の時代でしたが、北方民族の侵圧を受けて元(モンゴル帝国)に滅ぼされます。明(14~17世紀)は漢民族復興の王朝で文化が開花しつつも海禁策を採りました。清(17~20世紀初頭)は満洲族王朝ながら中国皇帝体制を継承し、一時は全盛を極めましたが、欧米列強の進出に苦しみアヘン戦争以降次第に弱体化しました。1912年に清が滅びて中華民国が成立、1949年には共産党政権の中華人民共和国となり、以後は改革開放で経済超大国へと成長しています。

日本は中国文明の強い影響下にありつつ独自の統治体系を育みました。縄文・弥生時代を経て大和政権が成立(古墳時代)、飛鳥・奈良時代に律令国家を整備し、平安時代に貴族文化が栄えました。12世紀末の武家政権(鎌倉幕府)成立以降は武士階級が支配層となり、中世は戦国の混乱も経験。1603年に徳川家康が江戸幕府を開き、以後265年の太平の江戸時代が続きました(鎖国政策下でも中国・オランダとの限定交易は維持)。1854年の開国後、明治維新を断行して一挙に近代化を進め、日清・日露戦争で勝利し帝国主義国となりました。第二次世界大戦では敗戦を経て、戦後は民主化と経済復興を成し遂げ世界有数の経済国となっています。

朝鮮半島では高句麗・百済・新羅の三国が古代に興亡し、新羅統一(7世紀末)後に高麗王朝(10~14世紀)、朝鮮李朝(1392–1897年)が続きました。朝鮮王朝は朱子学を国是とし、科挙による文治政治を行いました。19世紀末に日本の影響下で大韓帝国となるも、1910年から日本に併合され植民地支配を受けました。第二次大戦後は北に共産政権(朝鮮民主主義人民共和国)、南に資本主義政権(大韓民国)が成立し、冷戦下で分断国家となりました(朝鮮戦争を経て現在も休戦状態)。韓国は後に経済発展と民主化を遂げ、北朝鮮は厳しい社会主義体制を維持しています。

東アジアの歴史は以上のように中国を軸に日本・朝鮮が連関する構図ですが、近代以降は西洋列強の影響、第二次大戦、冷戦といった外的要因が深く関与し、21世紀の現在も地政学的に重要な地域となっています。

  • 東南アジア: 東南アジアはインド・中国・イスラムなど様々な文化の影響を受けた交差点です。古代には扶南(カンボジア)やシュリーヴィジャヤ(スマトラ島)が海上交易で繁栄し、インドから伝わったヒンドゥー教・仏教王朝が数多く興隆(カンボジアのアンコール朝、ジャワ島のマタラム王国など)。15世紀以降、イスラム教がマラッカ王国などで広がり、現在のマレーシア・インドネシアの大部分で主流となりました。16世紀からポルトガル・スペインが進出し、フィリピンはスペイン領(カトリック化)、インドネシアはオランダ領に(オランダ東インド)、ベトナムなど仏領インドシナ、マレー半島やミャンマーは英領と、19世紀末までにほぼ全域が植民地化されました(タイ王国のみ独立維持)。第二次大戦後、インドネシア(スカルノら指導)が1945年に独立宣言しオランダと戦って主権獲得(1949年承認)、ベトナムも仏から独立し、その後南北に分断・ベトナム戦争を経て1975年統一。フィリピン(米から1946年独立)、マレーシア連邦(1963年独立)など独立国が相次ぎ、地域協力機構としてASEAN(1967年結成)が域内安定と経済成長を促しました。東南アジアは多様な民族・宗教の混在で内戦・対立も経験しましたが、近年は経済発展が著しく、世界の成長センターの一つとなっています。
  • 南アジア: 南アジアの歴史はインド亜大陸を中心に展開します。インダス文明以降、アーリヤ人の移入でヴェーダ時代が始まり、カースト制度の原型が形成されました。紀元前5世紀頃誕生の仏教・ジャイナ教はマウリヤ朝(前4~前2世紀)のアショーカ王によって保護され、仏教は広域に伝道されます。その後クシャーナ朝(1~3世紀)やグプタ朝(4~6世紀)がインド文化の黄金期を築き、サンスクリット文学や数学(ゼロの概念、十進法)が開花しました。8世紀以降、北インドにイスラム勢力が侵入し、13世紀からデリー・スルタン朝が支配、16世紀にムガル帝国が成立してインドの大部分を統一しました。ムガル帝国はタージ・マハルに象徴されるインド=イスラム文化を生みました。18世紀以降ムガル帝国が衰えると、イギリスが東インド会社を通じて支配を拡大し、19世紀半ばにはインド大反乱(1857年)を鎮圧してインド帝国として直轄統治しました。20世紀前半、ガンディーやネルーらの率いる独立運動が高揚し、第二次大戦後の1947年にインドとパキスタンが分離独立(ヒンドゥー教徒とムスリムの分離)しました。その後バングラデシュ(1971年パキスタン東部から独立)、スリランカ(旧英セイロン、1948年独立)、ネパール・ブータンなど南アジア諸国が次々主権国家となっています。印パ対立(カシミール紛争)など課題も残りつつ、この地域は現在世界最大級の人口を抱え、インドはIT産業などで台頭するなど国際的地位が向上しています。
  • 中東・イスラーム圏: 中東は古代文明のゆりかごであり、またユダヤ教・キリスト教・イスラム教という一神教発祥の地です。古代はメソポタミア・エジプト文明、ヘブライ王国やアケメネス朝ペルシャ、ヘレニズム王朝(セレウコス朝など)、ローマ・ビザンツ帝国などに支配されました。7世紀にイスラム帝国が誕生して以降、中東は基本的にイスラム文化圏となりました。アッバース朝カリフ統治下で繁栄した後、セルジューク朝などが覇を競い、13世紀にはモンゴルのイルハン国が一時支配します。16世紀以降、中東・北アフリカの大半はオスマン帝国(1299–1922年)の版図に収まりました。オスマン帝国は「ヨーロッパの病人」と呼ばれるほど19世紀に衰退し、第一次大戦で敗れて解体します。その後、中東各地はイギリス・フランスの委任統治領を経て、トルコ共和国(1923年)、サウジアラビア王国(1932年)、イラン(古くから独立、1925年パフレヴィー朝成立)、イラク・シリア・ヨルダン(1940年代独立)など多くの国が誕生しました。しかし1948年のイスラエル建国をめぐりアラブ・イスラエル紛争が度重なり、パレスチナ問題は現在も未解決です。湾岸地域では豊富な石油資源が発見され、世界経済の鍵となりました。イラン革命(1979年)や湾岸戦争(1991年)、アラブの春(2010年代)など政治変動も大きく、中東は地政学的要衝として21世紀も国際関係の焦点となっています。
  • アフリカ: アフリカ大陸の歴史は多様な部族・王国の興亡に彩られています。北アフリカは古代エジプト文明以来地中海世界の一部として発展し、フェニキア人の植民市カルタゴ(前9世紀~前2世紀)やローマ帝国属州として栄えました。7世紀にアラブ人が征服しイスラム化、以後オスマン帝国の支配下に入ります。サハラ以南のサブサハラ・アフリカでは文字資料が乏しいですが、紀元前後から西アフリカで鉄器文化(ノク文化)が栄え、バントゥー系民族の拡散もありました。西アフリカではガーナ王国(8~13世紀)に始まり、マリ帝国(13~15世紀)やソンガイ帝国(15~16世紀)がサハラ交易(塩・金・奴隷の交易)で栄えました。マリ帝国のマンサ・ムーサ王(14世紀)はメッカ巡礼で莫大な黄金をばらまいた逸話があり、伝説的な富で知られます。東アフリカ沿岸ではスワヒリ都市(モガディシュ、キルワ等)がインド洋交易拠点として繁栄し、イスラム文化とアフリカ文化の融合が進みました。南部アフリカでは大ジンバブエ遺跡(11~15世紀)に代表されるショナ人の王国、モノモタパ王国が発達しました。

15世紀以降、ポルトガル人がアフリカ西岸に進出し、奴隷貿易の時代が始まります。以後3~4世紀にわたりアフリカから約1200万人もの人々が強制的にアメリカ大陸へ送られ、この大西洋奴隷貿易はアフリカ社会に甚大な被害と変容をもたらしました。19世紀末のアフリカ分割では、イギリス(エジプト・スーダン・東南部・ナイジェリア等)、フランス(西アフリカ一帯・マダガスカル等)、ドイツ(東西南部の一部)、ベルギー(コンゴ)、ポルトガル(アンゴラ・モザンビーク)などが領有を確定。エチオピア帝国は1896年アドワの戦いでイタリアを破り独立を守りましたが、他は全て植民地化されました。第二次大戦後、1950–60年代に独立ラッシュとなり、アフリカ諸国は次々と主権を回復しました。しかし欧米列強が引いた国境線は部族分布と合致せず、ナイジェリア内戦やルワンダ内戦など民族対立に起因する流血が絶えません。南アフリカ連邦ではアパルトヘイト(人種隔離)が敷かれましたが、1994年の全人種参加選挙でネルソン・マンデラが大統領となり終焉しました。21世紀のアフリカは経済成長著しい地域もあり資源開発も進む一方、依然貧困や政治不安、感染症、サヘルの砂漠化など課題が山積しています。

  • ヨーロッパ: ヨーロッパの歴史は古代ギリシャ・ローマから中世キリスト教世界、近代の国民国家と世界進出へと続き、現代の欧州統合に至ります。前述の通り、中世までは外部からの侵入(ゲルマン、ヴァイキング、マジャール人など)と内部秩序形成(封建制・キリスト教社会)が並行し、やがて文芸復興と大航海で他文明圏に乗り出しました。近代に市民革命と産業革命を経て19世紀には世界の工場・銀行となり、アフリカ・アジアを植民地支配しました。しかし20世紀前半の二度の世界大戦で欧州は衰退、戦後は米ソ冷戦の境界となります。西欧諸国は民主主義と社会福祉国家を発展させ、東欧諸国は共産圏となりましたが、1989年の東欧革命と1991年ソ連解体で東西ヨーロッパは再統合への道を歩みました。EUの成立で域内の国境は薄れ、ユーロ導入・人の自由移動など統合は深化しています。一方、ユーゴスラビアの内戦(1990年代)やウクライナ危機(2014年~)など、欧州内部・周辺の不安要素も残ります。21世紀の欧州は、アメリカ・中国などに比肩する経済圏であるとともに、民主主義・人権・環境政策などソフトパワーで世界に影響を与える存在となっています。
  • 北米: 北アメリカは先住民(ネイティブ・アメリカン、エスキモーなど)が1万年以上にわたり独自の文化(狩猟採集社会や一部で農耕文明)を営んできました。16世紀以降に欧州人が植民を始め、北米東部にイギリスの13植民地、カナダにフランスの入植地(後に英に譲渡)などが築かれました。1776年、アメリカ独立宣言により13植民地はイギリスからの独立を宣言し、独立戦争勝利後の1787年に合衆国憲法が制定されてアメリカ合衆国が誕生しました。その後19世紀を通じて「明白な天命」の下で西方へ領土を拡張し、大陸横断を達成しました。しかしその過程で先住民は土地を奪われ、19世紀末までに人口の大部分が減少・居留地に強制移住させられる悲劇が起きました。一方、南北戦争(1861–65年)は奴隷制をめぐる国内対立で、北部勝利により奴隷制は廃止されました。米国は19世紀末までに工業大国となり、20世紀には二度の世界大戦で決定的役割を果たして超大国化、冷戦期は西側陣営の盟主として繁栄しました。現代もGDP世界最大の経済力・軍事力を有し、文化面でもハリウッド映画やIT企業などで世界的影響を及ぼします。カナダも英国連邦内の自治領を経て独立度を高め、現在は多文化主義を掲げる豊かな国家です。北米の歴史は、欧州移民が築いた新興国家が先住民を圧倒し、急速に発展していったという植民地的側面と、その過程の矛盾(人種問題・格差など)への対処に彩られています。
  • 中南米: ラテンアメリカとも呼ばれる中南米は、中世までにマヤ・アステカ・インカなど高度な文明が存在していましたが、スペイン・ポルトガルの征服によって16世紀以降植民地支配を受けました。スペイン帝国はメキシコから南米まで広大な領土を統治し、先住民は鉱山や農園で酷使され人口激減、代替労働力として多くのアフリカ人奴隷も連れて来られました。19世紀初頭、ナポレオン戦争の混乱を契機にラテンアメリカ各地で独立運動が起こり、シモン・ボリーバルやサン・マルティンらの指導でスペイン領は次々独立しました(メキシコ1810年、南米諸国1810~20年代)。ブラジルは比較的平和裏に独立(1822年、ポルトガル王族が皇帝に)し、後に共和制へ。独立後の中南米諸国は不安定な政情や欧米の経済的従属に悩まされ、米国はモンロー主義を掲げつつもしばしば中米・カリブ海に介入しました。キューバ革命(1959年)など社会主義運動も現れ、冷戦期にはチリの軍事クーデター(1973年)など東西両陣営の代理戦争の舞台にもなりました。20世紀末までに多くの国が民主化し、ブラジル・メキシコなどは新興経済国として成長しています。ただ麻薬取引や貧富の格差、先住民・アフリカ系住民の社会的地位など課題も残ります。ラテンアメリカは多様な人種融合(メスティーソ、ムラートなど)による豊かな文化を育み、音楽・芸術・文学で世界に独自の存在感を示しています。
  • オセアニア: オセアニアは太平洋の島嶼地域とオーストラリア・ニュージーランドを含みます。この地域には東南アジアから南島語系(オーストロネシア語族)の人々が何波にもわたり航海で移住し、太平洋の広大な範囲にポリネシア・メラネシア・ミクロネシアの諸文化圏が形成されました。ハワイやイースター島、ニュージーランド(マオリ族)への人類到達は紀元前後から13世紀頃に及びます。欧州からの航海者は17~18世紀に太平洋を探検し、やがて植民地化が進みました。オーストラリアはイギリスの流刑植民地として18世紀末に開拓が始まり、先住民アボリジニは土地を奪われ人口も激減しました。1901年にオーストラリア連邦が成立し自治領となり、現在は英連邦王国の一国として豊かな資源国です。ニュージーランドも英植民地を経て1907年自治領化し、マオリとの条約(ワイタンギ条約1840年)を結ぶも土地紛争が続きました。太平洋の他の島々も英・仏・米・日などの統治を受け、第二次大戦後に次第に独立(フィジー1970年、パプアニューギニア1975年など)しています。オセアニアの島嶼国は人口規模が小さく経済的に脆弱なため、先進国や国際社会からの支援に頼る面もありますが、伝統文化の維持や観光開発などでユニークな取り組みを見せています。

以上、世界をいくつかの地域に分けて概観しました。実際の歴史はこれら地域間の相互作用で形作られており、一地域だけで完結するものではありません。例えばイスラム世界と欧州、中南米と欧州、アフリカと欧米・中東、インドと中華圏など、多くの接点があります。したがって地域史を学ぶ際も、外部との関わりを念頭に置くことで、より立体的な理解が得られるでしょう。

主要年代の年表

※世界史の主要な出来事を年代順に整理します(BCE=紀元前、CE=西暦)。

  • BCE 3000年頃: エジプトで上・下エジプト統一国家成立。メソポタミアでシュメール人の都市国家が興隆(楔形文字の使用)。インダス文明の都市モヘンジョダロ繁栄。
  • BCE 1600年頃: 中国で殷王朝成立(甲骨文字・青銅器文明)。エーゲ文明(ギリシャ)のミケーネ文明全盛。BCE 1200年頃: 前後して「海の民」の侵入や気候変動により東地中海の複合危機。ヒッタイト帝国滅亡、エジプト新王国衰退。トロイア戦争伝承時代。
  • BCE 6~5世紀: 「軸の時代」。インドで仏教(ガウタマ・シッダールタ)とジャイナ教成立。中国で孔子・老子ら諸子百家活躍。ギリシャでソクラテス・プラトン・アリストテレスら哲学黄金期。ペルシア戦争、アテネ民主政の全盛。
  • BCE 221年: の始皇帝、中国統一(万里の長城着工、郡県制)。BCE 202年: 漢王朝成立(前漢)、以後シルクロード通じ西方と交流開始。
  • BCE 146年: ローマ、ポエニ戦争で勝利し地中海西部制圧(カルタゴ滅亡)。以降地中海世界が「ローマの湖」に。BCE 27年: オクタウィアヌス、ローマ初代皇帝アウグストゥスとなり元首政開始。
  • 1世紀 キリスト教成立(キリスト生誕と伝統的にされる年)。64年ローマ大火でキリスト教徒迫害。70年ユダヤ戦争、エルサレム神殿陥落。96–180年五賢帝時代、ローマ帝国の平和。~180年アントニヌスの疫病(天然痘)流行。
  • 2世紀初頭(皇帝トラヤヌス在位98–117年)に最大版図へ到達。
  • 3世紀: 220年後漢滅亡、三国時代(魏呉蜀)。235–284年ローマ帝国の軍人皇帝時代、内乱と疫病で混乱。250年頃古代マヤ文明クラシック期開始(ティカルなど繁栄)。271年サーサーン朝ペルシャ、ローマ軍撃破(エデッサの戦い)。
  • 4世紀: 313年ミラノ勅令でキリスト教公認320年グプタ朝成立、インド古典文化隆盛。330年コンスタンティノープル遷都。375年ゲルマン人大移動開始。391年キリスト教、ローマ帝国国教化。395年ローマ帝国が東西分裂。~400年古代テオティワカン文明最盛(中米)。
  • 5世紀: 406年ゲルマン諸部族がライン渡河、ローマ領ガリア流入。410年西ゴート族がローマ略奪。445年アッティラ王率いるフン帝国最盛。476年西ローマ帝国滅亡(古代の終焉)。486年フランク王国建国。493年東ゴート王国がイタリア征服。Zoroaster
  • 6世紀: 527–565年ユスティニアヌス帝、東ローマ全盛(ローマ法大全編纂)。542年ユスティニアヌスの疫病で東ローマ人口激減。550年頃グプタ朝滅亡、北インド分裂へ。568年ランゴバルド族、北イタリア征服。593年聖徳太子摂政(日本飛鳥時代、推古朝)。589年中国で隋が統一。
  • 7世紀: 603年隋滅亡、618年唐建国。622年ムハンマドのヒジュラ(聖遷)イスラーム元年632年ムハンマド死去、正統カリフ時代開始。642年ニハーヴァンドの戦い、アラブ軍がササン朝打倒。661年ウマイヤ朝成立(ダマスクス)。680年第一次ブルガール帝国成立(東欧)。
  • 8世紀: 711年ウマイヤ朝軍、イベリア半島征服(西ゴート王国滅亡)。732年トゥール・ポワティエ(トゥールの戦い)でウマイヤ朝軍がフランク王国軍に敗退。。750年アッバース朝成立。768年カール大帝即位(800年ローマ皇帝戴冠)。794年桓武天皇が平安京遷都(日本平安時代)。793年ヴァイキング襲来始まる。751年タラス河畔の戦いで…(製紙法西伝の伝承として広く知られるが、中央アジアで紙はそれ以前から使用されていた可能性が高い)。
  • 9世紀: 800年カール大帝戴冠(西ローマ帝国の復活)。843年ヴェルダン条約でフランク分裂(独・仏・伊の原型)。863年キリルとメトディウス、スラブ伝道(正教圏拡大)。870年メルセン条約、東西フランク固まる。862年(伝承)リューリクがノヴゴロド支配を開始、882年にキエフ・ルーシ成立。896年マジャール人、パンノニア定住(ハンガリー)。907年唐滅亡、中国五代十国時代へ。899年大ウパニシャッド哲学インドで成熟。
  • 10世紀: 919年東フランクでザクセン朝(神聖ローマ帝国前身)。960年北宋成立(中国)。962年オットー1世、皇帝戴冠(神聖ローマ帝国成立)。987年カペー朝成立(フランス王国)。907年キエフ公国最盛(オレグ)。960年ポーランド王国成立。
  • 11世紀: 1023年(北宋)、政府が交子を発行(世界初の政府紙幣)。1054年キリスト教東西教会が相互破門(東西分裂)。1066年ノルマン・コンクエスト(ノルマン朝、英語にフランス語流入)。1096年第一次十字軍出発(1099年エルサレム占領)。1071年マンジケルトの戦い、セルジューク朝が東ローマに勝利。1088年ボローニャ大学創設(中世大学勃興)。1044年パガン朝成立(ビルマ最初の統一)。1055年セルジューク朝、バグダード入城(スルタンの称号獲得)。
  • 12世紀: 1127年靖康の変、北宋滅亡南宋へ。1187年アイユーブ朝のサラディン、エルサレム奪回。1192年源頼朝、征夷大将軍(鎌倉幕府成立、日本武家政権開始)。1163年ノートルダム大聖堂着工(ゴシック建築時代)。1171年アイユーブ朝エジプト支配、ファーティマ朝滅亡。
  • 13世紀: 1206年チンギス・ハン、モンゴル帝国建国。1204年第4回十字軍、コンスタンティノープル占領(ラテン帝国)。1215年イングランドでマグナ・カルタ承認(王権制限)。1225年ベトナム、陳朝成立。1258年モンゴル軍、バグダード征服しアッバース朝滅亡。1271年マルコ・ポーロがフビライ宮廷に仕える(東西交流記録)。1279年元、南宋を滅ぼし中国全土支配。1299年オスマン帝国建国。1281年元寇(日本がモンゴル軍撃退)。
  • 14世紀: 1337年百年戦争開始(英仏)。1347年黒死病が欧州襲撃(~1350年、人口の1/3–1/2死亡)。1368年明建国、元は北走。1380年クリコヴォの戦いでモスクワ公国がタタールの軛脱し自立。1398年ティムールがデリー占領(ティムール朝台頭)。14世紀末ルネサンスがイタリアで始まる。1392年李氏朝鮮成立。
  • 15世紀: 1405–33年鄭和の南海遠征(明の大艦隊、計7回)。1453年コンスタンティノープル陥落、東ローマ帝国滅亡。1492年コロンブス、アメリカ大陸到達。同年レコンキスタ完了しスペイン王国成立。1498年ヴァスコ・ダ・ガマ、インド航路開拓。1480年モスクワ大公イヴァン3世、キプチャク・ハン国から自立。1467–77年応仁の乱(日本戦国時代突入)。15世紀後半印刷術改良され欧州で活字印刷革命。
  • 16世紀: 1517年ルターが95か条の論題発表、宗教改革開始。1522年、エルカーノ指揮の生還船が世界周航を完遂(マゼランは1521年に戦死)。同年スペインのコルテス、アステカ帝国征服。1526年バーブル、ムガル帝国創始。1543年コペルニクス『天球回転論』出版(地動説提唱)。同年種子島に鉄砲伝来(日本)。1556年アクバル帝(ムガル第3代)即位、イスラムとヒンドゥー融和策。1588年イギリス、アルマダ海戦でスペイン無敵艦隊撃破。1592年豊臣秀吉が朝鮮侵略(壬辰・丁酉倭乱)。
  • 17世紀: 1600年英・蘭が東インド会社設立(アジア貿易本格参入)。1613年ロマノフ朝開始(ロシア)。1618年三十年戦争勃発(~1648年ウェストファリア条約)。1644年明滅亡し清成立。1648年清教徒革命完了(イングランド王処刑、共和政)。1683年オスマン帝国、ウィーン包囲失敗で後退開始。1688年名誉革命(英、立憲君主政確立)。1683年康熙帝、台湾征服。1699年カルロヴィッツ条約、オスマン帝国がハプスブルクに大領土割譲。
  • 18世紀: 1707年グレートブリテン王国成立(英蘇合同)。1715年ルイ14世死去、フランス絶対王政ピークを越える。1757年プラッシーの戦い、英が仏に勝ちインド支配の礎築く。1776年アメリカ独立宣言。1789年フランス革命勃発、人権宣言採択。1799年ナポレオン台頭(フランス統領政府)。1760年頃- イギリスで産業革命進展。1781年ジェームズ・ワットの改良蒸気機関製造。1793年清の乾隆帝、マカートニー英使節の自由貿易要求拒絶(「天朝」思想)。
  • 19世紀: 1804年ナポレオン皇帝即位、ナポレオン戦争(~1815年)。1807年英で奴隷貿易廃止法成立。1820年代ラテンアメリカ諸国独立(ボリーバルら活躍)。1830年フランス7月革命・ベルギー独立。1839年アヘン戦争(~1842年、清敗北し南京条約締結)。1848年二月革命で仏第二共和政、欧州各地に「諸国民の春」。1853年米艦隊ペリー来航、日本開国。1857年インド大反乱(セポイの乱)、1858年英が東インド会社廃止し直接統治へ。1861年ロシア、農奴解放令。1861-65年米南北戦争(奴隷制廃止)。1868年明治維新、日本近代国家の成立。1870年プロイセン=フランス戦争、普仏戦争勝利でドイツ帝国成立(1871年)。1884-85年ベルリン会議、アフリカ分割の取り決め。1899-1900年義和団事件、中国で列強の半植民地化が加速。1880年代- 第二次産業革命(電力・化学・自動車など)。1889年パリ万博でエッフェル塔が完成。
  • 20世紀: 1914年第一次世界大戦勃発(~1918年)。1917年ロシア革命、ソビエト政権成立(1922年ソ連建国)。1919年ヴェルサイユ条約、国際連盟発足。1929年世界恐慌。1933年ヒトラー政権成立(ナチス政権)。1939年第二次世界大戦勃発(~1945年)。1945年ヤルタ会談・ポツダム会談、国際連合発足。1947年インド・パキスタン分離独立、冷戦開始(トルーマン・ドクトリン)。1949年中国で中華人民共和国成立、NATOとCOMECON成立。1950年朝鮮戦争(~1953年)。1955年バンドン会議(アジア・アフリカ会議、非同盟運動の源流)。1961年ベルリンの壁構築、ビートルズ結成(大衆文化の世界的隆盛)。1962年キューバ危機(米ソ核戦争の瀬戸際)。1960年「アフリカの年」、17か国独立。1965年米、北ベトナム爆撃開始(ベトナム戦争泥沼化)。1969年アポロ11号、人類初の月面着陸。1973年第四次中東戦争・第一次石油危機。1975年ベトナム戦争終結、南北統一。1979年イラン革命、ソ連のアフガン侵攻。1989年東欧革命、ベルリンの壁崩壊。1991年ソ連解体、冷戦終結1993年マーストリヒト条約発効、EU成立。1997年京都議定書採択(気候変動対策)。1999年NATOがコソボ紛争に軍事介入。
  • 21世紀: 2001年9.11米同時多発テロ、米が対テロ戦争開始。2003年イラク戦争(サダム政権崩壊)。2008年リーマン・ショック、世界金融危機。2011年「アラブの春」で中東・北アフリカに民主化運動。2016年英国のEU離脱国民投票(ブレグジット)。2019年新型コロナウイルス感染症(COVID-19)世界的流行開始。2022年ロシア、ウクライナ侵攻で欧州に大規模戦争発生。

(※以上、世界史の主要年表。一部年代は概略)

よくある質問 (FAQ)

Q1: 世界史とは何ですか?
A1: 世界史とは、特定の地域に限らず人類全体の歩みを扱う歴史分野です。太古の人類出現から現在に至るまで、文明の興亡、文化や宗教の伝播、国家や経済の変遷など、地球規模で人類社会の発展を跡付けます。各地域史を統合し、相互の関係や影響も考慮して叙述されるため、グローバルな視野で歴史を理解するのに役立ちます。

Q2: 世界最古の文明はどこですか?
A2: 文明発祥は複数の地域でほぼ同時期に起きましたが、一般に四大文明と呼ばれるのは紀元前3000年頃までに出現した以下の文明です:

  • メソポタミア文明: ティグリス・ユーフラテス川流域。シュメール人の都市国家(ウル、ウルクなど)が文字(楔形文字)を発明。
  • エジプト文明: ナイル川流域。ファラオが統治する統一国家が成立し、象形文字(ヒエログリフ)やピラミッドに代表される高度な建築技術を残す。
  • インダス文明: インダス川流域(現在のパキスタン)。モヘンジョダロなど計画都市が栄え、インダス文字を使用。
  • 黄河文明: 中国・黄河流域。伝説の夏王朝を経て殷王朝が成立(甲骨文字の使用)。

さらに、同時期に中南米でもオルメカ文明などが発達しており、これらを加えて「六大文明」とすることもあります。

Q3: 農耕革命(新石器革命)はなぜ重要ですか?
A3: 農耕革命は約1万年前(新石器時代)に始まった、人類史上画期的な生活様式の転換です。狩猟採集中心の獲得経済から、作物栽培や家畜飼育による生産経済へ移行したことで、安定した食料 surplus(余剰)が生まれました。その結果、人口が増加して定住村落が形成され、余剰生産物の蓄積によって貧富の差や専門職(職人・司祭など)の分化が生じ、社会が複雑化しました。こうして初期の都市国家が誕生し、文明の成立につながりました。「農耕の開始」は文明発祥の前提条件であり、人類の生活と社会組織を根本から変えたため「革命」と位置付けられます。

Q4: イスラム黄金時代とは何ですか?
A4: イスラム黄金時代とは、主に8世紀から13世紀にかけてのアッバース朝期のイスラム世界で見られた文化・科学の飛躍的発展の時代を指します。首都バグダードに「知恵の館」が設立され、ギリシャ哲学やインド数学をアラビア語に翻訳し消化する学問的交流が盛んでした。数学では代数学(al-jabr)を発展させ、医学ではイブン・シーナー(アヴィケンナ)の『医学典範』がヨーロッパでも教科書となり、天文学ではプトレマイオス天文学を継承発展し星の位置を精密に測定しました。紙の製法も唐から導入され出版文化が花開きました。こうした科学知識は後に十字軍やレコンキスタ、通商を通じて西欧に伝わり、ヨーロッパのルネサンスに影響を与えています。

Q5: モンゴル帝国は世界史にどんな影響を与えましたか?
A5: 13世紀に成立したモンゴル帝国は、チンギス・ハンとその後継者たちがユーラシア大陸の大半を征服した巨大帝国です。その世界史的影響として:

  • ユーラシアの一体化: 東アジアからヨーロッパに至る広域が単一勢力に統合され、シルクロードの治安が維持されました(いわゆる Pax Mongolica)。これにより中国の火薬・羅針盤や中東の天文学・絹織物などが西東に急速に伝わりました。東西の外交・商取引も活発化し、マルコ・ポーロやイブン・バットゥータのような旅人が行き来できました。
  • 文化交流促進: モンゴル帝国では各地の有能な人材(イスラム数学者、景教徒、漢人技術者など)が徴用され、知識の交流が起こりました。イスラム天文学が中国に伝わり暦作成に影響し、ヨーロッパは中国製品やアラビアの知見に触れて刺激を受けました。
  • 破壊と再編: 征服戦争自体は中東のアッバース朝滅亡や中国の南宋滅亡、日本侵攻(元寇)など各地に大打撃を与え、多くの死者を出しました。ただし征服地にはモンゴル人が定住し同化して、例えば中国では元朝として漢文化を継承、ロシアではタタールの軛の下で諸公国に影響、イスラム圏では後にティムール朝やオスマン帝国など新勢力の台頭につながりました。

総じてモンゴル帝国は大交流時代をもたらし、後世の世界秩序形成に一時代を画しました。そのポジティブ・ネガティブ両面の遺産は大きく、特に地理的知識の拡散や東西交易拡大に与えた効果は計り知れません。

Q6: 産業革命はなぜ「革命」と呼ばれるのですか?
A6: 産業革命は18世紀後半にイギリスで始まった技術・経済・社会の大変革で、手工業から機械制工場への移行により生産力が飛躍的に向上しました。この変化は人類の生活様式を根本から変えたため「革命」と呼ばれます。具体的には蒸気機関の普及で動力革命が起こり、織物工業に紡績機・織機が導入され大量生産が可能となりました。工業都市への人口集中が進み、都市化交通革命(鉄道・蒸気船)が社会の距離感を縮めました。産業革命はまた資本主義経済を本格的に確立し、労働者と資本家という新階級が生まれ社会構造が変容しました。その後の世界各国の産業化・近代化のモデルとなり、人類の物質的豊かさと人口急増(食糧生産・医療改善による)にもつながったため、政治革命になぞらえて革命と称されます。

Q7: 第一次世界大戦はなぜ起こり、どんな結果をもたらしましたか?
A7: 第一次世界大戦(1914–1918年)は、ヨーロッパでの列強間の複雑な同盟体制と帝国主義競争が高じる中、オーストリア皇太子暗殺事件(サラエボ事件)を誘因として勃発しました。ドイツ・オーストリアを中心とする同盟国側と、イギリス・フランス・ロシア(途中離脱)・イタリア・米国など協商国側に分かれ、総力戦となりました。塹壕戦や機関銃・毒ガスの使用で戦線は膠着し、人的被害は約1500万人戦死・2000万人以上負傷という未曾有の規模でした。結果、協商国(連合国)の勝利に終わり、敗戦国ドイツ・オーストリア・オスマン・ロシア帝国はいずれも崩壊または領土縮小しました。戦後1919年に締結されたヴェルサイユ条約ではドイツに厳しい賠償と軍備制限が課され、ヨーロッパ地図は中欧・東欧に数多くの新国家(ポーランド、チェコスロバキア、ユーゴスラビア等)が誕生するなど再編されました。民族自決の理念が謳われ、国際連盟が発足して集団安全保障体制が試みられましたが、条約の不公平感や米国不参加などから十分機能せず、これらは第二次世界大戦の遠因となりました。

Q8: 第二次世界大戦後、世界はどのように変わりましたか?
A8: 第二次世界大戦(1939–1945年)後、国際秩序は大きく組み替わりました。まず、戦勝国の米国とソ連が二大超大国として台頭し、資本主義陣営 vs 社会主義陣営の冷戦構造が成立しました。欧州は東西に分断され、ドイツも東西分割占領(1949年に二国成立)されました。国際連合が設立(1945年)され、米英仏ソ中の安保理常任理事国を中心に国際協調が模索されました。一方、ヨーロッパ諸国の没落に伴い、アジア・アフリカでは脱植民地化が進み多くの新独立国が誕生しました(インド・パキスタン1947年、インドネシア1949年、アフリカ諸国1950–60年代など)。経済面ではアメリカを軸にブレトンウッズ体制が敷かれ、IMF・世界銀行が設立、ドルを基軸通貨とする国際経済秩序ができました。技術面では核兵器・ロケット開発・コンピュータなど戦中生まれの技術が冷戦下で競争発展し、人類の科学技術水準は飛躍しました。社会面では欧米・日本で高い経済成長が実現し中産階級が増大、一方で第三世界では南北問題(経済格差)が顕在化しました。大戦後77年以上経た現在も、国連を中心とする戦後枠組みは維持されていますが、冷戦終結や新興国の台頭で変容しつつあります。

Q9: 冷戦とは何ですか?
A9: 冷戦とは、第二次大戦後から1991年まで続いた米国・ソ連両超大国を中心とする東西陣営の対立状態を指します。直接の全面戦争こそ起こりませんでしたが(熱戦にならなかったので「冷たい戦争」)、軍拡競争(核兵器・ICBM等)や政治的・経済的競争が世界的規模で展開されました。米国はNATOを組織し日本・西欧など資本主義諸国を束ね、ソ連はワルシャワ条約機構とCOMECONで社会主義圏を形成しました。朝鮮戦争・ベトナム戦争・アフガン紛争などは冷戦の代理戦争でした。両陣営は宇宙開発競争(1957年ソ連が人工衛星成功、1969年米が月着陸)やプロパガンダ合戦も繰り広げました。1980年代後半、ソ連の改革開放(ペレストロイカ)や東欧革命の結果、冷戦構造は崩壊し、1991年のソ連解体とともに終結しました。

Q10: グローバリゼーションは新しい現象ですか?
A10: グローバリゼーション(世界の一体化)自体は新しい現象ではなく、歴史を通じて段階的に進展してきたものです。ただ、20世紀末以降の情報通信網の発達や自由貿易の拡大で、そのスピードと範囲が飛躍的に増大しました。古くはシルクロードや大航海時代の世界商業網形成、19世紀の蒸気船・電信による「19世紀のグローバル化」も存在しました。現在のグローバリゼーション(「第4のグローバル化段階」とも)は、インターネットによるリアルタイム情報共有、金融市場の即時連動、生産拠点の地球規模分散(グローバル・サプライチェーン)などが特徴です。21世紀に入り、新型コロナ禍や地政学リスクでグローバル化の見直しも論じられていますが、人の移動・文化交流・経済取引において国境の障壁が低くなっている状態そのものは、歴史の大きな流れとして続いています。

結論 – 歴史の大きな潮流と今日的示唆

世界の歴史を通観すると、いくつかの長期的な潮流が浮かび上がります。その一つは、人類規模での統合と分裂の反復です。古代の文明圏が交易でゆるやかに繋がり、中世のモンゴル帝国や大航海時代に一体性を増し、現代のグローバル社会に至るまで、人類社会は相互に連関を深めてきました。同時に、帝国の興亡や国家の盛衰の過程で政治的統合と解体が繰り返され(例: ローマ帝国の崩壊とその後の欧州統合への再挑戦、植民地帝国の瓦解と国民国家の誕生)、多様性と普遍性のせめぎ合いが続いています。

第二に、技術と経済の飛躍的発展です。産業革命以降、人類の生産力は指数関数的に伸び、世界人口は18世紀に約7億人だったものが現代では80億人を超えました。交通・通信の進歩で地球は狭くなり、月や火星探査に乗り出すまでになりました。しかしその反面、環境破壊や気候変動、資源枯渇といった地球規模課題も生じています。これらの問題は国家単独では解決困難であり、歴史の中で培われた国際協調(例: 環境条約、国際連合)が試される時代です。

第三に、思想・価値観の変容です。かつて絶対的とされた宗教的権威や王権は、啓蒙思想や市民革命によって相対化され、人権・民主主義・民族自決といった理念が広がりました。もちろん地域によって受容度は異なりますが、現代の国際社会は基本的人権や平和追求を共通の価値として掲げています。ただし21世紀に入り、ポピュリズムの台頭や宗教・民族アイデンティティの再燃など、近代価値への揺り戻しもみられ、歴史の進歩は直線的でないことが改めて示唆されています。

歴史から学べることは多くあります。たとえば異なる文明間の衝突と交流の経験は、グローバル社会での共生のヒントとなります。モンゴル帝国期の東西交流がルネサンスを刺激したり、イスラム世界の知恵がヨーロッパ科学に火を付けた事実は、文化の交わりが革新を生む好例です。一方、帝国主義や世界大戦の惨禍から得た教訓は、平和と多極協調の大切さを現代人に教えています。

結論として、人類の歴史は相互依存と創造的適応の歴史と言えるでしょう。気候変動や疫病など外圧に対して適応し、技術や社会制度を創造してきた柔軟性こそ人類の強みです。現代に直面する気候危機やパンデミックへの対応も、歴史の知恵を活かし国際的連帯で乗り越えていくことが求められます。過去を振り返ることは、未来への洞察を得ることでもあります。長い世界の歴史を学ぶことで、私たちは現在の立ち位置を知り、来たるべき未来への責任と可能性を自覚することができるでしょう。

教育

2025/8/27

【世界史完全版】先史から現代までの通史・年表まとめ

私たち人類は、太古の出現から長い年月を経て高度な文明社会を築き上げました。本記事では、先史時代から現代に至るまでの世界の歴史を俯瞰し、各地域の歩みや主要テーマを網羅的に解説します。古代文明の誕生、世界宗教の広がり、中世の交流と変革、近代の産業革命と帝国主義、そしてグローバル化する現代まで、一つながりの物語として理解できるよう、年表や図表を交えてわかりやすくまとめました。世界史の大きな流れを把握し、現代の私たちに至る道筋をひも解いていきましょう。 要点サマリー 人類の起源と拡散: 現生人類(ホモ・サピエンス ...

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2025/8/26

俳句とは?初心者向けの完全ガイド【定義・歴史・作り方・季語・例句】

俳句とは日本発祥の短詩型文学で、通常は五・七・五の17音と季語(季節を示す言葉)を含むのが基本です。 起源は連歌・俳諧の発句(ほっく)にあり、江戸時代に松尾芭蕉らが芸術性を高め、明治期に正岡子規が「俳句」という呼称を用いて発句を独立した短詩形として一般化(定着)させました 季語・切れ字・定型(音の型)の3つが俳句の特徴とされますが、無季俳句(季語なし)や自由律俳句(定型破り)も存在し、俳句の定義は流派で異なります。 作り方の基本は、身近な自然を観察→季語選び→五七五に凝縮→切れ字で余韻→推敲する手順です。 ...

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2025/8/26

神道とは――定義・歴史・信仰・神社制度までわかりやすく解説

神道(しんとう、Shintō)は、日本民族固有の神々(神〈かみ〉)への信仰にもとづき形成・発展してきた宗教の総称です。漢字の「神道」は「神の道」(かみのみち)を意味し、この語は6世紀半ばに仏教が伝来した後、それまでの在来信仰を仏教(仏道)と区別するために用いられるようになりました。神道にはキリスト教やイスラム教のような開祖や体系だった教義はなく、経典に当たるものも定められていません。その代わりに、古代の神話や伝承が『古事記』(712年成立)や『日本書紀』(720年成立)などに記録され、のちに神職が奏上する ...

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2025/8/24

日本の歴史|縄文から令和まで全時代を網羅した決定版の歴史総合ガイド 

要約 日本の歴史は、旧石器時代から現代の令和まで連綿と続く壮大な物語です。縄文時代の狩猟採集文化から弥生時代の稲作導入による社会変革、古墳時代の大王(おおきみ)による統合、飛鳥・奈良時代の中央集権国家成立と仏教公伝、平安時代の貴族文化の爛熟、鎌倉幕府に始まる武士政権の興隆、戦国の動乱と安土桃山時代の天下統一、徳川幕府による江戸時代の長期平和と鎖国政策、そして明治維新による近代国家への転換、大正デモクラシーや昭和の戦争と復興、高度経済成長を経て平成・令和の現代に至るまで、それぞれの時代が固有の政治・社会・文 ...

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2025/8/21

論語とは何か:構成(20篇)・主要概念・名句の現代的意義

要約 『論語』 – 孔子(こうし、Confucius)と弟子たちの言行録。孔子没後、弟子たちが編纂したと伝えられる。 構成 – 全20篇(上論10篇・下論10篇)から成り、春秋末期~戦国時代に成立し、漢代半ばに現行の形が整った。 歴史的展開 – 漢代には五経の注釈的位置づけから始まり、宋代に四書の一つとして重視された。 主要概念 – 仁・礼・義・智・信・孝などの徳目と、理想的人格である君子像が語録全篇にわたり強調される。 現代的価値 – 『論語』の名言は教育・リーダーシップ・倫理観に通じ、自己修養や組織運 ...

参考文献

  1. Wikipedia『世界の歴史』「概要: 人類史のはじまり」(2023年版)(最終閲覧日: 2025年8月25日)。人類の出現と拡散についての記述。
  2. 「世界史年表&用語索引」伊藤弘之(Y-history.net)より「モンゴル帝国/大モンゴル国」の解説(最終閲覧日: 2025年8月25日)y-history.net。13世紀のモンゴル帝国成立と領土拡大に関する説明。
  3. Japanesemuslim.com『イスラム黄金時代 – 現代に受け継がれる驚きの発明と知識』(2025年)japanesemuslim.com(最終閲覧日: 2025年8月25日)。イスラム黄金時代の定義および医学・科学の進歩例について。
  4. Wikipedia『産業革命』「概要: 世界規模での影響」(2023年版)(最終閲覧日: 2025年8月25日)。産業革命がもたらした国際分業体制や貿易拡大など地球規模の変化に関する記述。
  5. Wikipedia『世界の一体化』(2023年版)「世界の一体化とは: 16世紀の大航海時代以降本格化」(最終閲覧日: 2025年8月25日)。グローバリゼーション(世界の一体化)の歴史的位置づけに関する解説。
  6. Wikipedia『世界四大文明』「概要」(2023年版)ja.wikipedia.org(最終閲覧日: 2025年8月25日)。四大文明(メソポタミア・エジプト・インダス・中国文明)および六大文明の説明。
  7. Wikipedia『メソポタミア文明』「都市国家と文字の発明」(2023年版)(最終閲覧日: 2025年8月25日)。シュメールの都市国家や楔形文字の発明について。
  8. Wikipedia『インダス文明』「特徴」(2023年版)(最終閲覧日: 2025年8月25日)。モヘンジョダロ遺跡やインダス文字、権力構造の特徴についての記述。
  9. Wikipedia『エジプト文明』「古王国: メネスの統一」(2023年版)(最終閲覧日: 2025年8月25日)。紀元前3000年頃のナルメル(メネス)王による上下エジプト統一についての説明。
  10. 国立国会図書館レファレンス協同データベース「ペスト大流行時の死者数」(2021年)(最終閲覧日: 2025年8月25日)。14世紀ヨーロッパの黒死病死亡率(30~60%)に関する複数史料の引用。
  11. Kasatate (note.com)「世界史におけるモンゴル帝国の影響って計り知れないよね」(2024年)note.com(最終閲覧日: 2025年8月25日)。モンゴル帝国によるバグダード征服(1258年)とルネサンスへの影響仮説についての言及。
  12. 外務省 在日米国大使館「コロンブス・デー: コロンブス1492年にバハマ到達」(2021年)(最終閲覧日: 2025年8月25日)。クリストファー・コロンブスが1492年にバハマ諸島へ到達した事実の確認。
  13. 斎藤光『人口から読み解く世界の歴史』(人口動向ラボ, 2024年)(最終閲覧日: 2025年8月25日)。紀元から2100年までの世界人口推移グラフと、産業革命後の人口急増に関する解説。
  14. Yomiuri STYLE(日本経済新聞)「欧州の歴史が大きく変わった黒死病後」(2020年)(最終閲覧日: 2025年8月25日)。14世紀の黒死病パンデミックでヨーロッパ人口の3分の1が死亡したとの一般的な説の紹介。
  15. 池田光穂「コロンブス交換: 旧世界の疾病で先住民が80~95%減少」(navymule9.sakura.ne.jp, 2002年)(最終閲覧日: 2025年8月25日)。15世紀以降の旧世界由来の伝染病によりアメリカ先住民人口が激減(80~95%減)したとの記述。

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2025/8/27

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